修験道の修行の地、出羽三山の一つ羽黒山


羽黒山五重塔
▲鶴岡市羽黒町(はぐろ)の羽黒山にある国宝・羽黒山五重塔の写真

  • ・場所:山形県鶴岡市羽黒町

  • ・駐車場:いでは文化記念館の近くに有り(無料)

  • ・鶴岡市の名物・特産品:だだちゃ豆、寒鱈汁(かんだらじる)、どんがら汁、からからせんべい
     サクランボ、切山椒(きりさんしょう)、庄内柿、庄内米、麦きり

  • ・宿泊先:鶴岡市格安宿泊ホテル・旅館

大鳥居
丑年は一度で12年分の参拝に相当する年
2009年は12年に1度に巡る丑年です。
羽黒山では、この年にお参りをすると
12年分お参りをしたのと、同じ御利益が
あるという特殊な年です。

修験や道者が、出羽三山の最後に訪れる
湯殿山の奥の院が開山された年だからです。
羽黒山の大鳥居を久々に見た時は
懐かしさやら、闘争心が沸いてくるものだ。

継子坂丑年御縁年

出羽三山とは?
山形にある出羽三山(でわさんざん)とは、月山、羽黒山、湯殿山の三つを総称して呼んだもの。
出羽三山はどれも山の中にある神社で、現在では山形市にある山寺立石寺のような
観光客が訪れる観光地となっているが、実際は修験道の修行の場で、山岳信仰の霊場の山です。

修験者
修験道の修行内容
修験道の修行とは主に何をやっているのか?
と言うと、ひたすら山道を歩くことを主としている。
毎日早朝と深夜には勤行が行われ
食事は精進料理のような質素な物で、1日2食
(午前10時と午後4時)。睡眠時間は3時間。
入浴や顔を洗ったり、ヒゲを剃ったりすることも
禁じられ、自然に溶け自己を窮地へ追い込む。

江戸時代の頃には修行期間が15日だったが
現在では短くなり9日(山入は7日間)になった。
峰中堂の中では、南蛮いぶしと呼ばれる
薬味(唐辛子・どくだみ・ぬか)を刻んだ物を
火鉢にくべて、いぶらすという修行も行う。

日頃の仕事や家庭の想いのしがらみを置き
死と再生を行うことを目的とした修行です。
簡単に言うと、厳しい修行で今までの己が死に
新しい自分に生まれ変わり出会うことです。
修行を終えた者は、常日頃のありがたみを知り
水や空気の旨さに感激する者もおるようだ。

蜂子皇子三本足の霊烏
開山した蜂子皇子と、羽黒山の山頂にある3本足の霊烏のオブジェクト

出羽三山の開山の歴史と蜂子皇子
出羽三山を開山したのは約1,400年前で、第32代崇崚天皇の皇子・蜂子皇子(はちこ、能除太子)
が政変から逃れ日本海の由良の八乙女浜に上陸し、3本足の霊烏に導かれて羽黒山に入り
出羽三山を開いたと伝わっている。3本足の霊烏とはヤタガラスのことだと思う。

蜂子皇子は顔の長さは一尺九寸、鼻の高さは三寸余り、目尻は髪の中に入り
口は広く裂けて耳の脇にまで至る。耳は垂れ下がり、声は悪音にして聞く者を驚かす。
という人間離れしたようなお方だったようだ。


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加藤清正と忠廣、里見家が眠る丸岡天澤寺


加藤清正の墳墓
▲鶴岡市の天澤寺にある、虎退治で有名な加藤清正の墳墓(五輪塔)

  • ・場所:山形県鶴岡市丸岡字町の内36(天澤寺)

  • ・イベント:7月下旬の土・日曜日に清正公大祭お逮夜がある。

  • ・駐車場:丸岡城跡に入る少し手前の方に有り(無料)

  • ・鶴岡市の名物・特産品:だだちゃ豆、寒鱈汁(かんだらじる)、どんがら汁、からからせんべい
     サクランボ、切山椒(きりさんしょう)、庄内柿、庄内米、麦きり

  • ・宿泊先:鶴岡市格安宿泊ホテル・旅館

天澤寺
縁あって天澤寺の和尚に習いを受ける
7月下旬の最終土曜日に黒川能を眺めに
櫛引町へ訪れたが、不思議なことに偶然から偶然が重なり、何故か丸岡城跡へ訪れた。

過去に訪れたことがあるが、天澤寺の入口に到着すると中から和尚が本堂の扉を開け出てきた。そして丸岡の歴史を学び、独自に得た
知識と和尚に習いを受けた知識を記す也。
         ▲天澤寺(てんたくじ)

熊本城大阪城
▲熊本城                          ▲大阪城

加藤清正
知・仁・勇を兼ね備えた加藤清正とは?
永禄5年(1562)に尾張国愛知郷中村で生まれ
幼名は夜叉若、虎之助と名付けられる。
元亀元年(1570)、9歳の時に長浜城で豊臣秀吉の
近習となり、秀吉の子飼いと知られる。

天正4年(1576)に、15歳で元服し170石の旗本に
取り立てられ、天正11年(1583)に賤ヶ岳の合戦で
清正は『賤ヶ岳の七本槍』の一人として活躍し
敵将・山路正国を討ち取り、秀吉から3千石に
加増され虎之助から加藤清正と名のる。

天正16年(1588)、27歳のときに肥後半国の領主
となり、元禄元年(1592)では秀吉の命により
朝鮮出兵に行かされ、大山のふもとに布陣した時
虎と遭遇し、十文字槍で槍先の鎌の部分を
折られながらも虎をしとめたという逸話もある。

地震加藤、関ヶ原合戦でも活躍し、築城の名手
としても知られ熊本城や大阪城、名護屋城など
様々な城の築城に携わる54万石の大大名である。
                                  ▲滋賀県長浜市の豊国神社にある銅像

清正閣
▲清正閣(せいしょうこう)。丸岡の地元では加藤清正公墓碑を愛称で『セイショウコウサマ』と呼ぶ。

どうして山形に加藤清正のお墓があるのか?
熊本から山形ではずいぶん距離があるが、加藤清正が慶長16年(1611)6/24、50歳で死去すると
清正の子・忠廣(忠広)がまだ10歳余りだが家督を継いだ。寛永9年(1632)に幕府から21ヶ条の
詰問状が届き結果的には、肥後54万石の大大名から出羽国庄内へ配流された。
庄内藩主・酒井忠勝から堪忍分として1万石を預かり、加藤家は庄内の丸岡で暮らすことになった。

巫女石と太夫石清正公遺骨壷
▲巫女石と太夫石                     ▲清正公遺骨壷

清正公の遺骨を密かに棒持
それで山形へ配流時に、清正の母子は密かに遺骨を熊本から庄内丸岡へ移させた。
天澤寺の隣に忠廣館が建つと、居館奥庭の太夫石がある所へ加藤清正の遺骨が入った壷を
休めていたが、12年の生活が流れると丸岡大火により忠廣館や天澤寺が全焼。
ほとぼりがさめるまで、五輪塔がある所へ遺骨を移し供養したと伝わる。

>>加藤清正と丸岡城跡の続きを見る



庄内三大まつりの一つ、大山犬祭り


大山犬まつり
▲鶴岡市で行っている大山犬まつりのからぐり山車の様子

  • ・場所:山形県鶴岡市の大山目抜き通り~椙尾神社周辺

  • ・期間・時間:6月5日、11:30にJR羽前大山駅から行列が出発

  • ・駐車場:出羽商工会大山支所、大山コミセン駐車場、大山公園(無料)

  • ・鶴岡市の名物・特産品:だだちゃ豆、寒鱈汁(かんだらじる)、どんがら汁、からからせんべい
     サクランボ、切山椒(きりさんしょう)、庄内柿、庄内米、麦きり

  • ・宿泊先:鶴岡市格安宿泊ホテル・旅館

大山犬祭りのメッケ犬
椙尾神社例大祭となっている大山犬祭り
庄内三大祭りの一つである、大山犬まつりを眺めに行った。この祭りは椙尾神社の例大祭でもあり、村を救ったメッケ犬の伝説が
あるから、それで祝っているようだ。

椙尾神社の創立は不明だが、創建者は尾浦城主の武藤氏による創建と伝わっている。
祭神は最初積羽八重事代主と天津羽々命。
            ▲メッケ犬

大山犬まつり大山犬祭り

メッケ犬伝説とは?
その昔、椙尾神社(すぎお)の裏山に東の坊・西の坊という入道姿で、田畑を荒らす化け物がおり
村人は困っていた。そのため毎年お祭りの日には、美しい娘を椙尾神社に供えなければならない。
ある年、大山を通りかかった修験者の六部がその話を聞き、神社の天井に隠れ様子を見てた。

大山犬まつり大山犬祭り

2人の大入道は「このことは丹波国のメッケ犬に聞かせるな」と言い、娘を裂きそれぞれ裂いた娘を
持ち去った。六部は丹波国の茶屋でメッケ犬を見つけ、娘の変わりに籠に乗せ神社に供えた。
入道が籠を開けるとメッケ犬が飛びかかり戦った。
夜が明け六部と村人が様子を見に行くと、そこにはメッケ犬と2匹のムジナが死んでいたそうだ。

大山犬まつり・めっけ犬

そして村を救ったメッケ犬は椙尾神社のお前立となり、例祭ではメッケ犬を箱車に乗せて市内を
ねり歩いています。大山犬まつりは300年以前から続いており、からぐり山車も巡回している。
と、まぁ話の内容は高畠町にある犬の宮と猫の宮の高安犬物語に似ていますね。


>>大山犬まつりの続きを見る



五百年余りの歴史がある黒川能


黒川能
▲鶴岡市黒川に伝わる、国指定重要無形民俗文化財の黒川能の様子

黒川能の写真
古くから伝わり山形に存在する能
山形県鶴岡市黒川(旧・櫛引町)には
五百年の伝統を受け継いだ黒川能がある。

山形県内外で公演はたまに行われているが
フランス・パリで開かれた芸術祭にも招かれ
公演し、日本の文化の素晴しさを能で伝え
連日満席の大喝采を浴びたようだ。
その伝統ある黒川能をご紹介して進ぜよう。
           ▲上座の大般若

春日神社春日神社
鶴岡市黒川に鎮座する春日神社

黒川能の歴史
黒川能は、鶴岡市黒川にある807年に創建された春日神社に伝わる神事能である。
黒川能の始まりについては、定説は無い。未だ究明は無いがいくつかの説は存在する。

まずは平安時代初期の859~877年頃に、清和天皇が黒川に足をとどめ、里人に能を伝えた説。
もう一つは、南北朝時代末期の1394~1427年に後小松天皇(ごこまつ)の第三皇子小川宮が
黒川能を伝え、この地に没せられたという説がある。
そして現在も春日神社を信仰している黒川の氏子(農民)達の手により伝えられ
氏子はそのまま能役者になり、黒川で伝承され続けられています。

能狂言の能

黒川能の流派について
黒川能の流派は、現在の五流(観世・宝生・金春・金剛・喜多)と同系であるが
観阿弥・世阿弥が大成した猿楽能の流れを汲んでいて、いずれの流派にも属さない
独自の流派であり、現在では滅びてしまった演目や演式などに古い様式を残したものだ。

黒川能では他の能には見られない両腕を広げ、両手の人差し指を指す独特の構えをとり
能を行うが、あれも能が発祥したころの古態の形で、能以前の古い芸能の名残が伝わっている
のではないだろうかと言われている。
いずれにしてもハッキリとした定説がある訳でもないのが現状だ。

黒川能


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あさひ月山湖展望広場から眺めた月山ダム


月山ダム
▲鶴岡市にある月山ダム

  • ・場所:鶴岡市~西川町を結ぶ国道112号線

  • ・駐車場:休憩スポットとして、ほぼ駐車場になっている(無料)

  • ・鶴岡市の名物・特産品:だだちゃ豆、寒鱈汁(かんだらじる)、どんがら汁、からからせんべい
     サクランボ、切山椒(きりさんしょう)、庄内柿、庄内米、麦きり

  • ・宿泊先:鶴岡市格安宿泊ホテル・旅館

月山観光マップ
休憩がてらに展望台から月山ダムを観察
西川町から鶴岡市を結ぶ国道112号線には
月山ダムがある。ここは休憩スポットになっており、駐車場の広場とトイレ、ジュース自販機だけが置いてある展望台である。

高速道路を使用せずに、のんびりと一般道で車を走らすと月山ダムに到着できます。
いつ来ても空気が新鮮で、のどかな所だな。
       ▲画像クリックで拡大表示可

月の女神月の女神

月山の女神について
そういえば月山の紅葉で訪れた時も、広場のシンボルとも言える金色に光る月の女神の像が
置いてあったな。そもそもこれは何なんだろうなと思いちょいと調べてみた。

これは『あさひ月山湖畔に彫刻を建てる会』が建てた物らしく、霊山月山の大自然の中から
神秘的に出る、月と共に姿を現した女神をイメージし彫ったものなのだそうだ。
安らぎと心を潤す月山の自然と、生活用水として人々を潤す月山ダムの象徴として置いた銅像也。

月山ダム月山ダムの写真

ここは相変わらず風が強く、月山ダムから横に流れる様が広大で圧倒される場所ですね。
たまにダムの管理人みたいな方が、数人でボートに乗って何かしているのを見たことがある。
生活水路としてのダムとは言え、あそこで釣りをすると何か釣れそうだな~

>>月山ダムの続きを見る



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