上日枝神社と下日枝神社の例祭、酒田まつり


酒田まつり・山車
▲酒田市の市役所前に設置された酒田まつりの時の山車

  • ・開催期間:5月19日、20日、21日の中旬頃に開催。

  • ・場所:日和山公園から中合清水屋の中通り商店街辺り

  • ・駐車場:酒田市役所(無料)や周囲の有料駐車場など

  • ・酒田市の名物・特産品:庄内米、ただちゃ豆、庄内柿、酒、どんがら汁

  • ・宿泊先:酒田市格安宿泊ホテル旅館


山車
慶長14年(1609)から続く歴史ある酒田まつり
酒田市では、もっとも大きな祭りである、酒田祭りを見てきた。3日間も行われる大規模な祭り也。

このお祭りは元は山王祭と呼ばれていたが
昭和54年の酒田大火復興の時に『酒田まつり』
と改称したようだ。
慶長14年(1609)から399年もの間、一度も欠かすことなく続けられてきたもので、獅子頭が酒田
市内を巡ったり、伝統芸能を披露したります。

左にある巨大な山車(だし)は、京都祇園祭の
山鉾巡行を真似たもので、酒田まつり(当時は
山王祭)の名物として知られたが明治39年(1906)になると、電線が引かれるためという理由で姿を消してしまった物である。
   ▲うわぁぁー、ちょwでかすぎるよチミー

山車の写真山車の内部

今年(2008年)から復活した山車
それで明治39年を最後に山車の姿は消した訳だが、本年度で酒田まつりは創始400年の前年祭
となるので、山車が復活したのだそうだ。当時からこの山車は、雲をつくように高かった。
酒田市役所内では、歴史パネルなる当時の白黒写真が飾られ、その様子を見ることができた。
山車の内部は、鉄筋と木造による建築で頑丈な作りであった。
話によるとあの山車は、市からの補助金も含めて、製作費は約1000万円だとか@@;

露店盆栽

日和山公園から相生町の約1km?ほどある長い道のりの道路脇には、ずらりと並ぶ露店で溢れ
新庄まつりなみの露店数であった。酒田市役所前では、山車や獅子頭の展示の他に盆栽展なども開かれていた。その手前にある旧鐙屋では、酒田まつりの期間中は入館無料なので観光してきた。
酒田まつり・獅子頭▲赤と黒の獅子頭。魔除けであり酒田市のシンボル。

本祭りでは子供が健康に育つように、獅子頭の口の中に子供を乗せ酒田市内を巡ります。
今年(2008年)の本祭りでは山形に台風が来ていたので、見に行くのを断念しました><;


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藩政時代を偲ばせる中山神社祭典の武者行列


中山神社祭典武者行列
▲酒田市の松山城大手門と中山神社祭典武者行列の様子

  • ・開催期間:5月1日 13:00から出発

  • ・場所:中山神社から各順路へ巡る

  • ・駐車場:松山文化伝承館や中山神社辺りに有り(無料)

  • ・酒田市の名物・特産品:庄内米、ただちゃ豆、庄内柿、酒、どんがら汁

  • ・宿泊先:酒田市格安宿泊ホテル旅館


中山神社と武者行列
酒田市の無形民俗文化財の武者行列
5月1日に行われる中山神社祭典武者行列は、午後1時に中山神社から出発します。
同日の午前中は松山藩荻野流砲術
演武が里仁館のグランドで行われている。

この武者行列は、約2,3時間かけて町内を
1周し再び中山神社へ戻ります。午前中は
幼稚園児による山車が町内を周っていた。
       ▲中山神社の入口の石鳥居

中山神社武者行列

中山神社祭典武者行列の起源について
この中山神社の武者行列は、何時頃から始まったのか明確な記録がないそうだが
宝暦7年(1757年)に中山祭礼のため片町から『奴(やっこ)を出した起源』という記録があり
その頃から始まったのではないかと推測されている。奴(やっこ)とは武家などの家来のこと。

中山神社祭典武者行列

中山神社は徳川家康の嫡男・松平三郎信康と、酒井忠次(ただつぐ)を祀るために創始した神社。
それで武者行列が行われるようになったのは、祭典の時には神輿を担いで市内を周るので
その警護をするために武者行列がついて歩くようになったと伝わっている。

神輿神輿の写真
神輿(みこし)は2つ置いてあったが、武者行列では左の方を引っ張っていた。


>>中山神社祭典武者行列の続きを見る



酒田市格安宿泊ホテル一覧表


酒田市のおすすめ格安宿泊ホテル一覧表です。ネットから空き部屋の確認と宿泊予約ができ

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よくある質問 ネットで宿泊予約の仕方


酒田市宿泊先ホテル名 住所 値段
酒田グリーンホテル 山形県酒田市本町1―6―10 ¥3,350~
ホテルサンルート酒田 山形県酒田市北新橋1-19-7 ¥3,400~
工藤旅館 山形県酒田市幸町1-8-22 ¥3,600~
ホテルイン酒田 山形県酒田市あきほ町650―4 ¥3,825~
ホテルリッチ&ガーデン酒田 山形県酒田市若竹町1-1-1 ¥3,990~
さかたセントラルホテル 山形県酒田市中央東町4-22 ¥4,000~
酒田東急イン 山形県酒田市幸町1-10-20 ¥4,200~
最上屋旅館 山形県酒田市中町2-2-16 ¥6,000~
若葉旅館 山形県酒田市本町2-3-9 ¥7,100~
ホテル ルートイン酒田 山形県酒田市東大町1-48-12 ¥8,000~
ホテル・アルファ-ワン酒田 山形県酒田市幸町2-1-12 ¥8,800~



酒田市に伝わる松山藩荻野流砲術


松山藩荻野流砲術隊
▲酒田市の松山で行われた松山藩荻野流砲術隊の方々

  • ・開催期間:5月1日 10:30 ~12:00 雨天中止

  • ・場所:松山城跡の近くにある生涯学習施設「里仁館」のグラウンド

  • ・駐車場:松山文化伝承館や中山神社辺りに有り(無料)

  • ・酒田市の名物・特産品:庄内米、ただちゃ豆、庄内柿、酒、どんがら汁

  • ・宿泊先:酒田市格安宿泊ホテル旅館


松山藩荻野流砲術
松山藩荻野流砲術とは?
酒田市の松山に伝わる荻野流砲術とは
松山藩歴代藩主の5代目にあたる酒井忠禮
(ただのり)の時代の頃に、その藩士である
山本丈右衛門が大坂玉造の荻野流砲術宗家坂本孫之進に文化4年(1807年)に入門した。

そして翌年に免許を皆伝し、その後松山代官となり、砲術師範を勤めたのが始まりである。
   ▲羽織を着てる人は指揮や太鼓を鳴らす人

松山城跡砲術隊

松山藩荻野流砲術の歴史と活躍した時代
松山藩では足軽組が第一線部隊としていたようで、1隊で20数名でもって組織し物頭が指揮した。
元々足軽組は弓隊として編成されていて4隊あった。
文久3年(1863年)の頃の時代には、幕府に願い出て江戸藩邸内に鉄砲稽古場を建設したいと
伝えその許可がおりたので、従来からいた弓隊は廃止し砲術隊になった。

慶応2年(1866年)の記録によると、砲術隊は竹田川原で度々鉄砲の訓練をしていたようだ。
戊辰戦争の頃になると官軍が新庄から清川に攻め入った。松山藩の兵は慶応4年4月23日に
荒興野のあららぎ山から砲撃し撃退し活躍したようだ。
しかし幕府軍が負け松山藩も消滅すると、砲術隊員も砲術も自然と消えてしまったようだ。


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