5日間に渡る壮大な祭り 米沢上杉まつり

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米沢城・上杉神社内で行われる
米沢上杉まつりの武てい式の様子
- ・開催期間:毎年4月29日~5月3日。入場無料
- ・場所:山形県米沢市丸の内1-4-13や松川河川敷場
- ・駐車場:米沢城周辺や臨時駐車場
- ・米沢市の名物・特産品:米沢牛、米沢鯉、舘山りんご、うこぎ、雪菜、織物、笹野一刀彫
- ・宿泊先:米沢市格安宿泊ホテル旅館

上杉謙信公と共に合戦に馳せ参じよ!
米沢上杉まつりは、毎年4月29日~5月3日に
行われる祭りで、4月29日は
上杉謙信の
命日であり上杉神社および松岬神社の大祭
となっている。開幕のパレードで始まり
最終日に川中島合戦を再現し終了します。
私がオススメするのは5月2日の武てい式!
19時~20時に行われる出陣前の儀式。
▲米沢上杉まつり 川中島合戦
以下は米沢上杉まつりの主な日程表です。5月1日のイベントだけが、一体何時からやっているのか
不明。それ以外は毎年共通イベントで行われています。
日付 | 時間 | イベント内容 |
4月29日 | 午前10時30分~ | 上杉神社例大祭 |
午前11時~ | 開幕祭 民踊流し・米沢時代行列 |
4月30日 | 午前10時~ | 松岬神社例大祭 |
5月1日 | - | 献菓祭・鯉供養祭・春風の宴 |
5月2日 | 午後19時~20時 | 武てい式 |
5月3日 | 午前9時30分~ | みこし渡御 |
午前10時20分~ | 上杉軍団行列 |
午後2時~ | 川中島合戦 |
米沢上杉まつり 開幕祭


オープニングセレモニー・ステージイベント
4/29日には午前9時30分~午後1時からは、伝国の杜ステージで開幕祭が行われます。
ここでは主に、米沢伝統の民謡や踊りといったものが披露されます。
上杉太鼓は米沢上杉まつりでは、ほとんどのイベントで打ち鳴らされます。
オープニングセレモニーは、個性派なステージイベントで毎年15くらいの団体が出演します。


米沢の空手を披露したりと、個性的な団体が多い

花笠音戸と米沢新調のパレード・民踊流し
午後からは大門交番~伝国の杜の区間を
花笠音戸や米沢新調で、およそ千人の方が
長い行列になり踊ります。
主に米沢の会社や学校関係者が踊っていた。
観光者達は横で眺めているだけだったが
一応、飛び込み参加で列に入り踊っても
良いようでした。
▲綺麗な着物を着た方が多い


子供から女子高生~大人と、年齢層が幅広い踊者だった

米沢の偉人者を紹介する・米沢時代行列
民踊流しに続いて、米沢時代行列という
米沢の歴史を作ってきた偉人達に扮した
方が登場します。
馬に乗っている方々は、主に乗馬資格を
持った方で今回多くの目を引いたのが
大河ドラマ天地人で注目を浴びる直江兼続に扮した方だった。
▲馬が中々言うこと聞かなくて大変そうだった
主な登場人物
小野小町、伊達政宗、上杉景勝、直江兼続、前田慶次郎、チャールズ・ヘンリー・ダラス
上杉鷹山、など。もっと他にも源平の時代の人もいた。
米沢上杉まつり 武てい式

▲上杉謙信と武将達


和太鼓が鳴り響き、当時の合戦出陣前の儀式をリアルに再現します
武てい式とは?
5月2日の夜に行われる
武てい式とは、上杉謙信公が合戦出陣前に必ず行った儀式で
『不正不義のない、己の欲のためにあらず』といった信念を持ち軍の守護神に戦勝を祈る儀式です。

上杉謙信公の動作の意味の解釈
まず上杉謙信が護摩堂に篭り不動明王の前で
五壇護摩(ごだんごま)を行い自我を払います。
そして不識庵(ふしきあん)に移動し、不正不義のない正義の志を持って毘沙門堂に進み
毘沙門天に祈願し必勝の秘策を練り神の啓示を受けます。そして戦勝祈願にお供えした水を自分の水筒に汲みます『五沽水の儀』(ごてんすい)が行われ、毘旗を持ち出陣します。
▲この祈願中は念仏を唱えている
武てい式が始まる時間の前は、上杉謙信を先頭に米沢の城下町を行進します。武てい式会場では開式宣言・軍団集結・軍神勧請・五沽水の儀・賜旗・出陣で武てい式の儀式は終了します。


▲和太鼓と法螺貝の音が鳴り響く ▲青龍隊・馬廻組槍隊による演武
武てい式全体の流れ
開式宣言では武将の集合を告げる『総登城』の太鼓が鳴らされ、28の武将が集結。軍団集結では
青龍隊による演武、馬廻組槍隊による槍の演武が行われる。
軍神勧請では上杉家鉄砲隊による発砲を行い五沽水の儀に進行し、賜旗では上杉謙信から先手の大将に『刀八毘沙門』の旗、二の見の大将に上杉家の家宝『八幡の御弓』、僧侶に帝から賜った
『天賜の御旗』が渡されます。そしてまた火縄銃の発砲があり出陣(武てい式終了)します。
米沢上杉まつり 川中島合戦

▲武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの三太刀七太刀シーン
こちらは5月3日に行われる川中島合戦のイベントです。上杉軍団が市内を回ったあとに、
相生橋と万里橋間の松川河畔に集結し、永禄4年(1561)の秋の川中島の合戦風景を再現します。
上杉の雷筒・30匁筒の鉄砲で一斉射撃をする様子や、上杉軍の陣形の車懸りの陣(くるまがかり)
や武田軍の鶴翼の陣(かくよく)で戦う様子も再現しています。
車懸りの陣:兵が車のタイヤの車輪のようにクルクル回りながら戦う陣形。
鶴翼の陣:鶴が翼を広げるような隊列で、『八』の字を逆にしたような陣形。

周囲にたくさんいる兵士達は?
この多くいる兵士役達は、一般人による募集により集められた方々で、中には外国の方まで参加しているイベントです。
こういったイベント参加は公式や新聞などで
募集しており、たいがいはボランティアや
クリーニング代とかの代金を払い、鎧兜を
借りてイベントに出席しているのである。
▲現場は色んな色の忍者がサポートをしてます


▲武田陣営の様子 ▲武田の赤備えと武田信玄
川中島合戦決戦の主な流れ
音声による解説を流し、それに伴った動きをして再現するという流れで表現しています。
妻女山の霧が晴れるシーンから乱闘となり、一騎打ち・武田軍が川を渡り援軍シーンから収束に
向かうまでを再現しています。
雷筒・30匁撃ちの上杉鉄砲隊

▲上杉まつりのイベントで多く見られる上杉鉄砲隊とは?
誇り高き上杉の鉄砲隊
米沢では正月やイベントなどで鉄砲を披露しているが、その度に観光者達から「うるせー!」と
つい本音を出てしまう方々がいる訳だが、彼らにそんな失礼なことは決して言うてはならない。
なぜなら、彼らは誇り高い米沢の上杉鉄砲隊だからなのだ。
上杉鉄砲隊について


▲玉込めの様子 ▲1604年頃の火縄銃
上杉鉄砲隊とは?
米沢は他の藩と比べると下級武士が圧倒的に多く、自給自足をしなければ生活できないほど苦しい日々を送ってきたのだ。下級武士の多くはお城勤めの他に、今で言うアルバイトをこなし生計を
立てざるをえないほど生活は苦しかったのだ。
が、しかし彼らには一つプライドがある。鉄砲を撃つ中で、中級武士は重さ10匁の細身の鉄砲しか
撃つことが許されない。20匁以上の大筒の鉄砲からは特殊技能として扱いになる。
大筒になる度に、それを撃てる者には石高を与えていたのだ。
30匁に3石、40匁に4石、50匁に5石と加増していた。
鉄砲隊の中には、越後以来の伝統を持つ段母衣鉄砲組と、上杉景勝の時代に編成された
百挺鉄砲組とあり、共に大阪冬の陣で上杉砲術隊と、天下に勇名をとどろかせた
誇り高き足軽鉄砲隊なのだ。上杉謙信からの褒美である金色の段々に染めた母衣を身に付け
とがり笠に馬の毛でできたシロコを付け、日の丸具足という派手な格好をしている。
駐車場とシャトルバスの存在
まず武てい式の方は上の地図のおまつり広場という所で行われます。駐車場の方は祭りの
準備をする方でほとんどいっぱいになるのか、米沢城に駐車するのはほぼ無理な状況になる。
故に他の駐車場をあたらなくてはならない。私が昔行ったときには米沢総合公園という
米沢城から北にある所に車を駐車し、そこから片道100円で米沢城へシャトルバスが出ていた。
あと米沢総合公園から川中島決戦場の松川行きへのバスも出ていたので、それに乗って現地まで行った記憶がある。徒歩だとちょいと距離があるので、素直にバスを利用した方が良い。
料金は前払いがほとんどなので、乗るとき事前に料金を用意した方がスムーズな乗車が可能。
詳しい駐車場と場所はこちら
山形県米沢市《米沢上杉まつり》公式ホームページ川中島合戦で注意しときたいこと
それと注意しておきたいのが、川中島合戦の所には、トイレはいくつか用意されてはいるが大変混雑する。また一度石の階段の所に座って場所の確保をしたのは良いが、途中からトレイに行こうとすると今度は人で埋め尽くされて登り下りの際にイベントが終わるまで出られなくなることが多い。
きちんと道が誘導されていなことが多いので、無理やり人をかき分けて通る失礼な輩もでるほどだ。故に水分をあまりとらずに、事前にトレイに行っといた方が好ましい。イベントは2時間ほどになるので途中で飽きても脱出困難なので、よく考えて場所の確保と事前の行動をしておきたいものだ。
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