直江兼続が水・火の神に願った龍師火帝の碑

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龍師火帝の碑(りょうしかていのひ)
- ・場所:山形県米沢市大字赤崩付近
- ・駐車場:龍師火帝の碑の前に駐車可(無料)
- ・米沢市の名物・特産品:米沢牛、米沢鯉、舘山りんご、うこぎ、雪菜、織物、笹野一刀彫
- ・宿泊先:米沢市格安宿泊ホテル旅館
龍師火帝の碑は安山岩の自然石で、幅が約2.9m。高さが約1.5m。奥行きが約1.6m。
「龍師」「火帝」と右上から4文字だけ彫られ、弥勒(みろく)の種子の下に『傳燈叟髄記之』
(でんとうそうずい)と陰刻されている。
直江兼続が僧侶の傳燈叟髄に、龍師火帝と書かせたよだ。

洪水や旱魃から守るために建てた
直江石堤から、さらに上の松川の源流には
龍師火帝の碑がある。これは直江兼続が
龍師=水の神、火帝=火の神の加護がある
ように願い建てた物だ。
直江石堤で話したように、米沢の町を洪水から守るように水の神へ、松川の反乱を防ぐため
松川の源流に碑を置きそれを願った。
▲右上から龍師火帝と彫ってある
一方、火の神の方は町を旱魃(かんばつ)から守るために願い、ここから水を引いて掘立川の水へと注ぎ込んでる。この水は
米沢城の外堀を囲む水路に流れていて、敵が米沢へ押し寄せてきた場合
一時的に川をせき止め水量を増して敵の侵入を防いだり、田畑を潤すためとして利用している。


▲龍師火帝の碑・周辺の松川源流 ▲ここから掘立川へ水を引いている
『龍師火帝』の4字は中国の梁の武帝の命令により、1,000の漢字からなる四字句からなる美しい
韻文にまとめた『千字文』の19番目の句にあたる言葉のようです。


春には碑の周辺には白い桜が咲いてました
用水の確保として造られた猿尾堰

▲昔は石と木で造られていたようだ


▲このようにして米沢の城下へ水を流している
米沢城の三の丸の西側の堀に流れる猿尾堰は、製作するのに何度か失敗した堰で失敗した
責任者が切腹したことから別名『切腹堰』とも呼ばれているようです。

用水の確保として直江兼続が堰を築いた
この堰は、直江兼続が用水の確保を図るために
木材を菱形に組み込み、中に柴で包んだ石を
入れて堰止めています。
猿尾留の工法を取り入れたことから『猿尾堰』
(さるおぜき)と呼ばれています。
現在では、やはり木材では腐りやすいためか
頑丈なコンクリートで補強されているようだ。
▲龍師火帝の碑の裏にある猿尾堰
直江兼続が水・火の神に対し、碑を建てて願ったことからすると、直江兼続は神の信仰心が
強かったことが伺い知ることができる。やはり直江兼続が小さい頃に景勝と共に
上杉謙信の元で
学んだことで、神や仏の教えを学び実行したのだと思われる。


直江兼続公が龍師火帝の碑に願ったせいなのか、のどかな川の流れでした
堤防が完成した後も、製作作業員の下級武士・原方衆をこの地に住まわせ水害の管理をしていた
という。現在では大平温泉行きへのバスも途中にあったが、バス便がなくなってからは不便な地に
なってしまったようだ。


この辺は人も居ないし、のどかで良い所だな~
龍師火帝の碑の場所と行き方については、若干辺鄙な地にあるので探すのが大変だった。
まず直江石堤のある県道151号線から、太平温泉行きと書かれた看板へ途中から曲がります。
少し行くと米沢変電所という、発電所ぽいでかい建物を通過してさらに進む、そこから車で約1,2分
ぐらい進むと右手側に重機が2、3台置かれていて、左手に龍師火帝の碑と書かれた看板がある。
その看板を見逃して、そのまま真っ直ぐ進んでしまうと橋を渡ることになるので
それは行きすぎ!龍師火帝の碑の看板から左へ進むと、民家の間を通過し田んぼしかない所へ
出てしまう、本当にこの道であってるのか!?と不安を覚えてしまう道なのだ。
龍師火帝の碑とは草むらの中にある。そのまま真っ直ぐに進むと、右手に2、3個何か書かれた
碑があるが、それは龍師火帝の碑ではない。
そこからそのまま真っ直ぐ草むらの方へ進んで行くと、すぐに龍師火帝の碑はあります。車でUターンすらできそうにない田んぼ道なので、前から車が来ないかよく先を見てから進まないと大変なことになりそうだった。尚、駐車場は龍師火帝の碑の前の草むらに止めれるスペースが3台ほどあった。
・追伸:現在の龍師火帝の碑は、入口に天地人の登り旗が2つ立てられ気付きやすかった。
それと相変わらず車一台分の車道ではあるが、道はアスファルトで固められていやした。
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