山寺立石寺で行われる獅子踊、山寺磐司祭
▲山形市で行われている、山寺の根本中堂と
山寺磐司祭の獅子踊の写真
- ・場所:山形県山形市山寺4456-1の根本中堂前の広場
- ・期間と時間:毎年8月8日ぐらい。9:30~13:00
- ・駐車場:山寺入口付近に駐車場有(値段500円ぐらい)
- ・山形市の名物・特産品:サクランボ、ぶとう、玉こんにゃく、こけし、米、紅花、鋳物
- ・宿泊先:山形市格安宿泊ホテル

第5回全国しし踊りフェスティバル
山寺では山寺磐司祭で古くから獅子踊が
奉納されてきたが、いつかだろうか?
今ではフェスティバルとして、山形の獅子踊
たちが集まり披露するようになった。
山寺では
山王祭も開いているが、
こちらの祭りの方が伝統的で古い方か。
磐司祭ではいろんな獅子踊りを見れます。
立石寺本尊の国指定重要文化財の薬師如来尊像が、50年に一度の御開帳だそうで
平成25年5月より一ヶ月お目にかかれるそうだ。
まあ、生きてて御縁があれば一生に一度は拝見できそうか。
今回は、山寺磐司祭に御縁があったので眺めに訪れた。山寺はまあまあ久しい方か~


現在も山寺の入り口付近にある対面石と、慈覚大師と磐司磐三郎の像を安置する堂がある。
山寺磐司祭とは?
- 貞観2年(860年)に山寺の開祖・慈覚大師(円仁)が山寺を開く前に
この山寺を支配していたマタギの頭領・磐司磐三郎(ばんじばんざぶろう)が
慈覚大師と巨大な石の対面石で出会い、動物を殺すのを止めるよう悟された。
磐司磐三郎は大師の尊い話しに感激し、狩人をやめ罪を悔い改め山を明け渡した。
殺生を逃れた獅子たちが磐司磐三郎に感謝し、喜びの獅子踊りを披露したと伝わる。
現在では毎年8月7日になると、山寺盤司祭として慈覚大師と磐司磐三郎の功績にと
奉納され、山の霊を供養するため夜行念仏が行われている。
山形県各地の獅子踊りと夜行念仏


長いあいだシシ踊りを観察する
この日は曇り空の中で、気温は暑かったが
どこか雨が降りそうな日だった。
途中から雨が降ってきて雨に打たれながら
皆シシ踊りを眺める始末。
最初は坊さんが、両像に神社で言う祝詞のような
ものを上げ、色紙をパラパラと何枚か巻いてた。
その後、夜行行列と各地の獅子踊りが披露され、
全部見たのでだいぶ時間がかかった。
夜行念仏
- 山寺磐司祭が行われる前日から翌朝にかけて行われるもので
あの服装で入山し供養が行う。鎮魂儀礼であり夜間に五・七・五・七・七の
歌調の供養文を読みつつ巡る。
一つあげるのに5分を超え、大正以前では若者の役割であり結婚すると登れなかった。
盤司祭では夜行念仏と獅子踊りが山寺最大の祭りとしていた。
大黒舞
- 大黒舞の発祥は室町時代と言われており、別名「門付けの芸」とも言われていた。
現在で言う流し芸として農村に伝わり、現在では東北各地で祝いの踊りとして
踊られるようになった舞である。
長瀞猪子踊(東根市長瀞)
- 慈覚大師が村山地方が大きな湖になっているのを見て、水を放出すれば田んぼが
できると考え実行した。長瀞の人々は慈覚大師に感謝し、
獅子踊りを組織し、毎年山寺で奉納の踊りを続けてきたと伝わる。
獅子頭には南無阿弥陀仏と付け、山寺に来る前には長源寺で十回の唱えを受けてから来る。
稲下獅子踊(村山市稲下)
- 天保11年(1841年)に冷害による飢饉を払い豊作祈願をする狙いで始まったと伝わっている。
ただはっきりとした踊りの記録がなく、分かっているのは明治5年(1872年)以降によるもの。
立石寺学頭権僧に頂いた「利斧」を腰に持ち、全部で13演目あるそうで
すべて演じれば約1時間を要するようだ。
平山獅子踊(長井市平山)
- 長井黒獅子祭でも舞われている踊りで、上杉景勝が置賜地方を支配していたが
世は徳川幕府の時代になり、生活が苦しい上杉領土の時に、家臣であった青木丹波守が
平山で農業をやりたいと言い、その後越後の獅子踊り師を招き入れてから創作され今に至る。
置賜地方に多い三頭の獅子踊りで、仁和賀と書いたまといを持ち
花笠を被り顔を隠した着物姿が太鼓を打ち、火の輪をくぐる曲芸的な踊り。
高擶獅子踊(天童市高擶)
- 毎年8月22日に河上神社で豊作祈願や悪魔払い、供養として踊られている。
猪をかたどった頭に2本の長い羽を角に見立て、南無阿弥陀仏と書いてある梵天を付け
背中には山寺本坊から授けられた斧(煩悩の離れ斧)を背負い舞う。
綱木獅子踊(米沢市綱木)
- 綱木獅子踊の起源は平家落人が綱木に隠れ住み踊りを託された説があるが、
有力な手掛かりがなく実際には分からない。
獅子を見ると置賜地方に見られる三頭の獅子踊りで、関東肥狭踊りが演目にあるので
会津彼岸獅子と何か関係があるのではないかと見られている。
天地人で話題の直江兼続が米沢の城下町を整備した。最上川の源流の綱木川に沿り
集落が形成され、吾妻山の山懐で綱木獅子踊が生まれ育った。
昭和初期までは50~60戸の集落が反映してたが、時代が変わり現在は6~10戸になり
昔は若者が舞ってたが、現在では60~80代のベテランが中心となり
米沢以外で綱木獅子踊を披露したことは一度も無かったのだと言う。
現在では月1回の練習会を重ね、先祖供養や五穀成就を願い欠かさず続けられいる。
それで今回山寺に縁が有り参加することになった。
全体的な感想
個性的な獅子頭が面白かったところか、動きをよく観察してみると歌舞伎のような、
殺陣のような、舞楽のような動きをしていた点が気になった。
どれも何を模しているのか分からない部分が多いが、動きや音に花のある動作を見ると
そこに日本の伝統的な何かを感じることができたよ。
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山寺立石寺山寺の地図⇒
山寺立石寺案内図
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