山形観光旅行記

旅人の天晴れ『長谷堂にある直江兼続の本陣跡』の話


直江山城守本陣跡
▲山形市の長谷堂にある、上杉の家老・直江兼続が本陣を置いた場所の写真

菅沢の丘
長谷堂の直江山城守本陣跡を訪ねる
先に長谷堂城と直江本陣跡のライトアップ
の記事を投稿したが、久々に日中に最上家
との争いで、上杉の直江兼続が本陣を敷いた
長谷堂の菅沢の丘にある陣跡を訪ねた。

登り口は写真のように墓が斜面に建てられ
長谷堂城を見守るように設置されている。
これは意図的に置いたものだと思われる。
何故なら辺は未だ当時の一族多いから也。

沢泉寺
お墓の参道から沢泉寺の脇を通り、本陣へ続く林の中へ進む。

『二つの関ヶ原』の放送が一つの関ヶ原だった件について
すげさわの丘は、今や団地と古墳跡と寺・神社がある所と化しており、車で通れる普通の
小高い丘と言った感じだ。山と呼ぶには少し小さいかな。

それで最近は大河ドラマ天地人の影響により、登り口付近には駐車場が設けられ本陣跡も
整備されていた。しかし、もう少し長谷堂城合戦の内容を放送して欲しかったものですね(^^;
畑谷城上山での争いも見事スルー。せめて前田慶次郎だけでも・・・な方は多かったはず。
最上義光歴史館は天地人の放送記念にと無料開放したが、情けをかけるべきなんだろうな。


直江兼続の愛の前立ての天地人昇り旗が、参道にいっぱい建てられてた。

整備された本陣跡と長谷堂城跡の風景



長谷堂城跡

上杉と直江の家紋
昇り旗とライトアップの設備とパネルがある
懐かしいのぅとか想いながらも登ること約3分、
陣跡に到着するとそこには上杉と直江家の
家紋のパネルと、ライトアップしている設備が
置かれていた。モロに上杉一色ですね!

昔はここはただの草場で、遠くには見事な
長谷堂城跡が見えるだけの風景だったが
これが例のライトアップの仕掛けのようだ。


見渡し良く、実り良い稲穂が見える
ここからだと長谷堂城の周囲の風景が一望でき、上杉の直江兼続がここに陣を敷いた理由も
十分解るものだ。肉眼で本丸御殿やその途中の昇り通路の部分も見える。

慶長出羽合戦が行われた時期も丁度今頃だ。上杉軍はあの山城を囲み最上と半月ほど争った。
あの田んぼが上杉の兵の動きを鈍らせ、最上の兵は鉄砲や弓で射撃して守り抜いたと伝わる。
なかなか落ちない城に上杉は怒り育った稲を狩り採り、それを最上に見せつけ挑発した
という逸話もあるそうだ。まさに長谷堂城は天然の山城だ。


本陣跡には何も無いッス!
そこから手前の方に直江山城守本陣跡があります。今では建て看板も置かれ区切りも彫られ
解りやすい状態になっていた。奥の方にも墓が数件置いてあった。

あの長谷堂城の周囲にある民家は、当時住んでた最上家の一族が今も生活してる所もあると聞く。
山辺町の畑谷から上杉の追ってから逃げ、山形市で現在も暮らしてる家もあるそうです。
前に片桐先生の親戚の家が、長谷堂城から屋根の部分が見えるとか言ってたな。つまりアレか~

長谷堂城



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