最上家臣・志村伊豆守光安の供養塔がある永泉寺


永泉寺
▲遊佐町にある永泉寺(ようせんじ)の参道入口の写真

  • ・場所:山形県飽海郡遊佐町直世字仲道(ゆざまち すぐせあざ なかみち)

  • ・駐車場:坂を登った永泉寺の横のスペース

  • ・遊佐町の名物・特産品:遊佐米、鱈汁、鳥海の塩、竹炭、庄内柿、かきもち、山菜

  • ・宿泊先:遊佐町宿泊ホテル旅館


遊佐町の風景
自然と融合したお寺だな
遊佐町には永泉寺(曹洞宗)という古いお寺
がある。境内には樹齢600年を超している
という杉の木がそびえ、根の部分がむき出し
参道の石階段へ突き出している。

周囲は田んぼと山で覆われた地域で
隣にある酒田市と比べると田舎な風景也。
この寺には最上家臣の志村伊豆守光安の
供養塔
があるそうなので眺めに訪れた。


あの朱色の赤門が見事だった
永泉寺は永徳2年(1382)に、総持寺で修行を積んでいた玄翁和尚(げんのう)が
白狐の導きによりこの地に堂塔を建立したと伝わっている。
石を積み重ね作った石階段を登ると、朱色の赤門と2対の仁王像があり天井には幾つかの
絵が描かれており、見事な赤門であった。しばらくずっと天井を眺めていたら首が・・・

永泉寺の赤門の天井の絵
▲画像クリックで拡大表示可能

永泉寺の周囲を観察


永泉寺

おや、あの家紋は・・・
永泉寺を観察していると蔵なのか?どうかよく
分からんが、扉に六つ目結紋の家紋が付いてる。

最初見た時は黒川能が思い浮かんだが
よく考えてみると、鶴岡市大山の椙尾神社にも
同じ家紋があったから、大宝寺(武藤)家の
家紋なのだろうか・・・。黒川能は大名に保護され現在に至るから、武藤家の譲り受けたのかな?
永泉寺は武藤家と何か関係があるお寺ぽいな。
                                       ▲六つ目結紋の家紋


訪れたのは春だが、まだ少し雪が残ってた。池では鯉が泳いでいる。

志村光安の供養碑・石造九重層塔


志村伊豆守光安の石造九重層塔

有形文化財建造物 石造九重層塔
永泉寺の裏側から斜面にかけてお墓が
多くあり、斜面を登った森の中には最上義光
の家臣・志村光安の供養塔があります。

志村光安は長谷堂城合戦で活躍した武将で
人数は定かでは無いが、直江兼続が率いる
約2~3万の上杉の軍勢を、1~5千の兵で
篭城し、半月に渡り長谷堂城を守りぬいた。

東禅寺城跡亀ヶ崎城跡
現在の酒田市亀ヶ崎一丁目にある東禅寺(亀ヶ崎)城跡

志村伊豆守光安は長谷堂城合戦後は庄内を治める
直江兼続の本隊が米沢に命からがら徹底成功すると、庄内から進軍して来た下吉右衛門の
軍勢に撤退命令の情報が届かず、谷地城を占領し取り残されるはめになった。
そこで志村光安のグループが説得させ、下吉右衛門と兵を敵であったが命を取らず庄内へ返した。

志村伊豆守光安は、長谷堂合戦図屏風には黒い甲冑を身に纏う姿が描かれ、撤退する上杉の
軍勢を追う最上軍の合戦の様子が残され、屏風の複写したやつが最上義光歴史館にある。
最上義光は戦果を上げた志村光安に、東禅寺城3万石を与え城主にした。後に亀ヶ崎城と改名。
山形市から庄内へ移ると、鶴岡市にある羽黒山の国宝・五重塔の修復なども行った。
最上改易後は、志村伊豆守の子孫は東根市に移り東根の大ケヤキ周辺へ移住した。


永泉寺境内にある石造九重層塔について
この石造九重層塔は慶長16年(1611)に、家臣によって建立されたもので高さは2.62mあり
昭和28年8月31日に石造建造物として県に指定された。

塔の基部分の四方には四智四仏の尊像が刻まれ、正面には前豆州大守為天皇良清公大禅門
菩堤云々と記載されてあるが、300年ぐらい風雪にさらされたため、家臣21名の刻名などは
磨滅して明らかではない。多くの功績の残した志村光安(あきやす)は死後も大事にされたのだな。


遊佐町周辺の地図・場所


山形県遊佐町の地図と場所
▲画像クリックで地図拡大表示可能
山形県遊佐町 永泉寺 - Google マップ

永泉寺への行き方は、ちょっと分かりづらかった印象がある。今だと天地人関係で分かりやすく
なっているかもしれないが、吹浦駅(ふくら)から行くと行きやすかった記憶がある。
道は細く田んぼと住宅だけで、それほど永泉寺行きの看板も多くは見かけなかったが
吹浦駅から車で10分ぐらいで到着する距離にある。駐車場は湾曲した道路から永泉寺の参道
横にある細い上へ登る道路へ進むと、本堂脇あたりに駐車できるスペースがあった。



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