日本三熊野神社の一つ、南陽市の熊野大社

▲南陽市の中心にある
熊野大社(くまのたいしゃ)の写真
- ・場所:山形県南陽市宮内3476-1 0238-47-7777
- ・駐車場:大鳥居の横のスペース(無料) WC付き
- ・南陽市の名物・特産品:ワイン、リンゴ、ラフランス、ぶどう、サクランボ、ラーメン、バラ、菊
- ・宿泊先:南陽市宿泊ホテル・旅館

1200年の歴史がある熊野大社
南陽市の宮内には見事な茅葺屋根の
熊野神社がある。通称は熊野大社。
多くの大名に保護され、今も形をとどめ
残っている歴史深き神社也。
安政2年(1855)の宮内熊野大社絵図を
眺めると、昔も今も社殿の配置や
杉の位置は昔から変わっていないようだ。
▲画像クリックで拡大可
南陽市の熊野大社の歴史
- 熊野大社と言われれば、島根県の八雲町にある熊野大社を連想してしまうが
山形県の南陽市宮内にも熊野大社があります。
こちらの熊野大社は、創建の説が色々とあり明確ではないが、平安時代末期のものと考えられ
北条庄の鎮守として日本三熊野(みくまの)の一つと称されている。
大同元年(806)に、平城天皇(へいぜい)の勅命により再建されたと古文で伝わり
東北でも古く、熊野信仰の聖地とされ1,200年の歴史がある神社です。
古文書によれば4度火災にあっているが、伊達・最上・上杉とその時代の領主より
寄進や社殿の整備が行われ保護されてきた。祭神は伊弉冉命(いざなみのみこと)。
熊野大社の参道と大イチョウ

▲熊野神社の大イチョウ

手水舎周辺の参道の様子
手水舎がある参道の周辺には、お土産屋と
大イチョウがある。この大イチョウは、高さ30m、
根回り7.7mあり、寛治年間(1087~94)の
後三年の役のあとに、源義家が家臣の
鎌倉権五郎景政に命じ、植えさせたという
伝説がある。県の天然記念物に指定されてる。
拝殿までの階段は約30段ぐらいと少なめです。
傘福 千の鈴と安部右馬助の碑
- 他には、昔は無かったが傘福 千の鈴とか言う鈴をたくさん繋げたやつとか、安部右馬助の碑
があります。安部右馬助は上杉家の武将で、長谷堂城合戦の1600年頃には
南陽市を治めていた尾崎・色部の家臣として宮内に入った。長谷堂での先陣ぶりは高名と聞く。
熊野神社の拝殿と茅葺屋根を観察



熊野神社の茅葺屋根について
いつ見ても立派な熊野大社の茅葺屋根だが
そもそもどのぐらいの年数で屋根の交換を
しているのか神主に聞いてみた。
全面交換したのは2006年に一度行ったとか。
茅葺屋根を見てたら
羽黒山の三神合祭殿を
想い出し、一体その改修工事は何年
かかるの?と聞いたら1年ほどかかるそうだ。
やっぱ、めっちゃ時間がかかりますね・・・
協賛資金の御協力のお願い
その当時の修復作業の写真を見せて貰うと上のような感じで、プロに任せて1年近くかかるとか。
値段はかなり高いらしく、やはり中々全面交換は難しいのが現状だそうです。
個人宅サイズの茅葺屋根でも、職人に任せると何百万単位の金額とか昔聞いたことあったな。


▲菅原神社 ▲鐘突堂
修復箇所を観察
それで協賛金を募集してた。内容によると石畳や鐘突堂、尾崎氏と共に信州飯山から熊野大社
に還された菅原神社と八幡神社、茅葺屋根、の修理資金が必要で実現するには1億円!
近く資金が必要なのだそうだ。
学問の神・菅原神社の屋根を見たけど、確かにあれじゃ修復は必要だな。屋根に青いシートが・・・
鐘突堂の下の部分を観察すると、黒く焼いてあったので神主に聞くと、防腐剤代わりじゃないか?
とか言ってたが、よく観察すると虫に食われた跡がある。あの柱の修復資金が必要なのだろう。
直江兼続と伊達政宗による修復
上の拝殿の方は、
直江兼続や伊達政宗が修復した記録が残っている。
御宮建立御棟札
一. 天正乙西六月 大旦那伊達正宗公
一. 天正十四年辛巳六月十日 大旦那正宗公
大津美作守
慶長九甲辰五月上旬 大旦那直江山城守
と縦書きで記録が残っている。慶長9年(1604)に修復したことから、会津120万石から米沢30万石
に減石された後の話。財政困難な時期であったが、神仏の改修費には資金を出したようだ。
1200年祭の記念事業として、上の写真で茅葺屋根を修復している際に、拝殿の方は天明年間
(1781~1789)の作であることが判明したそうだ。なるべく当時の木材で修復し新材で補強。
最上家との戦と風水思想を意識した町づくり
- 熊野大社の裏手には宮沢城があり、約1km離れた所には金山城が配置され
最上義光の領土と接する要害にあるため、直江兼続にとって身近な2人を城に配置した。
宮沢城へは元信州飯山城の尾崎重誉。金山城には兼続の妹を妻にした越後平林城の色部光長。
道路の造りは、敵が真っ直ぐに見渡せないよう蒲生氏郷が会津若松城を整備したような
敵が攻めにくい造りになっています。さらに南陽市は北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎の
4神を配した風水思想を意識した町づくりになっているそうだ。
善光寺御本尊を乗せた神輿
- 川中島で上杉謙信と武田信玄が争った川中島合戦では、善光寺如来の奪い合い戦にも
なったそうだ。552年に百済の聖明王から、日本に初めて送られてきた仏像だと伝わり
善光寺如来は秘仏とされ、白い布で厳重に巻かれ、住職であっても見ることが禁じられた仏像。
本当の善光寺如来の行方は諸説あり、米沢市の上杉家御廟所がある法音寺にあるとも云われ
実際にはよく分っていない。それで熊野大社には、華鬘(けまん)に善光寺の銘が入った
神輿がある。その神輿は奪い合いの戦で、善光寺如来を御渡しする際にした乗せたと伝わる。
右の資料館には天正18年(1590)10月3日に、伊達政宗による安堵書なども展示されている。
本殿と三羽の兎を観察


本殿について
- 拝殿の裏側にある本殿は、三間社流造の社殿。
安部右馬助の熊野神社再建による古文書では
江戸初期(1626年)までには再建されていた
社殿と伝わる。
南陽市指定文化財の建物で、周囲には
羽黒山のように、30社ほど小さい神社が
手水舎辺りからいくか並んである。
本殿の裏手には、少し面白い物がある。
三羽の兎を見つけると金持ちと長寿になれるらしい
- それで少し面白いやつと言うのは、上の写真の所には三羽の兎が彫られているそうで
全部見つけ出すと金持ちと長寿になれるそうです。それで私も他の観光者と混ざりながら
必死に首を上に傾け、しばらく彫られた幸運の兎?を眺めていました。
あれが幸運の兎かぁ~
私は2羽の兎を見つけることができました。その内の1羽は右のような感じで彫られてた。
3羽目を見つけようとしたら、近くにスズメバチの巣があるのか?
スズメバチがやって来て邪魔されたので、残念ながらお金持ちと長寿者にはなれなかった。
ま、欲をかいて金持ちになるより、まずは命を大事にせよ!ということか・・・と悟った。
また機会があれば、その時に3羽目を探せば良いだけのこと。金持ちになるのは早かったようだ。
先に3羽見つけた年配の方は「キャー!これ以上長生きしたら人生大変だわ~」とボヤいてた(笑)
南陽市の熊野大社への行き方は、国道13号線から南陽市に入ると分かりやすいかな。
白鷹町や長井市からでも行けるが、宮内周辺には道路がそれほど広くも無いので
分かりづらい面もあるかもしれない。宮内駅からは徒歩で15分ぐらいの距離。
駐車場は大鳥居をくぐる前の横の部分にあった。
『熊野大社』の関連サイト
・公式サイト:
山形県南陽市宮内熊野大社
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