天童つつじ祭りと天童織田藩の面影を残す建勲神社例大祭

▲天童市で織田信長を祭神としている建勲神社(たけいさお)の例大祭の写真
- ・場所:山形県天童市の舞鶴山の建勲神社。
- ・期間:毎年5月3日
- ・天童市の名物・特産品:将棋駒、出羽桜(地酒)、ラ・フランスのゼリーとアイス、りんご、蕎麦
サクランボ、天童こけし、陶芸
- ・宿泊先:天童市格安宿泊旅館・ホテル

天童つつじ祭り 建勲神社例大祭に出席
5月3日に天童市の舞鶴山で行われている
建勲神社例大祭を眺めてきました。
同日には、米沢市で
上杉祭りの川中島合戦が行われ、大河ドラマ天地人で盛り上がった
様を見たかったが、去年から今年にかけて
天童や高畠の織田藩でお世話になったので
今年は建勲神社へ挨拶に出向いた。
現地の様子
早速現地へ到着すると、いつもの建勲神社と見比べると軽く装飾され、例大祭の関係者のみが
ぞろぞろといるだけだった。そしてたまに参拝者らが数名訪れ、参拝が済むと帰る状況。
建勲神社の社務所の横には、個性的な鎧兜がズラリと並べられ、壊れた箇所を補修してた。
建勲神社例大祭の流れ
こちらの天童市の建勲神社は、織田の末裔・織田信敏により建立された神社で
織田信長公を分霊として譲り受け、祭神として祀っています。
10時になると近くの公園からバクチクのような花火が2,3回上げられ、例大祭が開始されました。
神主を先頭に小さめの神輿が運ばれ、神社に入る前にご祈祷を受け神社内へ入って行った。
その後、90分近く中で祝詞が上げられ、奥にある祭神の扉が開けられお供え物を奉納していた。
それが終わると関係者らはどこかへ移動したり、祭りの下準備を行っていました。
建勲神社の年間祭事 |
1月1日 | 歳旦祭 |
1月最終日曜日 | 年賀祈願祭 |
2月11日 | 建国祭 |
3月最終日曜日 | 小学校入学 児童祈願祭 |
5月3日 | 例大祭・神幸祭 |
6月30日 | 夏越大祓 |
9月1日 | 月次祭 |
11月23日 | 新穀感謝祭 |
12月30日 | 大祓 |
天童つつじ公園


天童つつじ公園とはなかみ先生について
- 建勲神社のすぐ側には天童つつじ公園がある。
約1万本にもおよぶ山ツツジが咲き見事也。
神社内で祭事を行っている間、公園を散歩した。
このつつじ公園ができたのは、右の高橋英雄
(えいお)という天童織田藩の藩医の家柄に
生まれた、愛称・はなかみ先生と呼ばれる人物。
アメリカから帰宅後、天童で美化運動を行い
このツツジ公園を整備し造園した郷土の偉人。
公園内には吉田大八の銅碑や、
安藤広重・はなかみ先生の碑が置かれ
周囲にはツツジが咲いてました。まだ満開とは言えない開花状況だが、これでも十分見事だ。
はなかみ先生が整備した道を散歩しながら、しばらくツツジを眺めてました。
5月下旬頃まで咲いており、5月3日からは日が落ちるとライトアップされるそうです。
維新軍楽隊


奥羽鎮撫軍を現した維新軍楽隊
午後1時からは
維新軍楽隊の行列が
天童市内を練り歩きました。
先頭は錦の御旗を掲げ、維新マーチを鳴らし
当時の面影を再現しています。
こちらの
天童織田藩の記事に記載したが
天童織田藩では、家老・吉田大八公が
奥羽鎮撫軍の先導役を命じられました。
維新軍楽隊と錦の御旗について
- 維新軍楽隊、甲冑行列、神輿と行列が練り歩いてました。
昔の維新軍楽隊は天童藩士の子弟のみで編成していたが、時代と共に隊員が減って行き
補充が追いつかない状況故、現在ではあの様に市民や南部小学校が伝統を引き継いでいる。
新政府軍と旧幕府軍が対立する中、新政府軍が勝手に作ったという朝廷の軍旗『錦の御旗』を
見せられた旧幕府軍らは新政府軍に寝返り、旧幕府軍は優勢から劣勢に切り替わった歴史がある。
官軍に攻撃を仕掛ける=天皇に刃を向ける賊軍と見なされてしまうので寝返ったのだ。
天童つつじまつりとは言え、祭りというほど大規模な物では無く、地域の伝統行事のような
雰囲気で行われたが、維新マーチのイギリス式軍隊行進曲を聞きながら
錦の御旗を見せられた時には、さしもの私もこれにはビックリしたものだった。
建勲神社例大祭は10時から行われます。維新軍楽隊の方は13時からスタート。
どちらも開始される前に、バクチクのような爆発音が2,3回打ち鳴らされます。
駐車場の方は特に無いので、天道つつじ公園や建勲神社へ向かう前の路肩に駐車する感じだった。
維新軍楽隊は一体どこから出発してるのか不明だったが、三宝寺の周辺からスタートしている
はずだ。順路についてもよく分からなかったが、建勲神社の周辺から県道280を行進してた。
維新マーチが聞こえれば近くにいるはずじゃろう。
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