上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『高畠町と天童市の織田藩観光地図』の話


織田信長

天童織田藩
高畠町と天童市に残る織田藩の旧跡
こちらの記事の高畠・天童織田藩の記事を
書くにあたって、歴史跡を巡り現在も山形の
高畠町と天童市に残る織田藩の旧跡を
観光しやすいよう、ご参考程度に内容を
記載しておきます。

まぁ織田藩の歴史に興味のある方向けか。
情報があまり無いので難儀なものだった。
それではまずは天童市からだ。

天童市の織田藩旧跡


天童織田藩の場所と地図
▲画像クリックで拡大可   山形県天童市 - Google マップ

建勲神社

織田信長を祭神とした建勲神社
天童市には舞鶴山という天童城跡がある。春には人間将棋という桜の中で将棋の対局が行われる。
現在の山頂は眺めの良い風景と、花々しい市民の憩いの場として舞鶴公園となっている。
その舞鶴山で国道13号沿いから見て表だと例えると、建勲神社はその裏山にある。
山とは言え、現在は山頂までの道路が通っているので車で通過できます。(こちらは道幅が細い)

つつじ

舞鶴山は桜の花見スポットでもあるが、5月には約1万本のつつじが咲く所だ。
それでこの建勲神社は、「たけいさお」「けんくん」神社と呼ばれるが、一般的には前述の方で
読まれるのがほとんど。この神社は明治3年(1870)11月17日に、織田信敏(のぶとし)が建立し
織田信長を祭神としている。分霊として分けて貰い天童市でも信長公を祀っているのだ。
規模が小さく祭りと言えるほどでも無いが、建勲神社例大祭やイベントを開いている。

護国神社吉田大八蔵

護国神社
護国神社は建勲神社の近くにあり、この地で自刃し果てた吉田大八を祀った神社です。
中には人形師・神保平五郎の作った、吉田大八の木像が納められているようだ。
現在では、日清・日露・太平洋戦争の戦死者を合祀し、護国神社や舞鶴宮とも呼ぶ。
この場所からは眺めが良く、天童市から寒河江市方面の街並みを見渡せました。



旧東村山郡役所資料館ステンドグラス

旧東村山郡役所資料館
この洋風の建物は、東村山郡の役所として明治12年10月に完成した建物。
昔は3階建てで瓦葺漆喰壁だったが、現在は改造され2階建。昭和47年山形県有形文化財指定。

今では資料館となっており、幕末の天童織田藩や天童の戊辰戦争、廃藩置県による天童の
政治や文化の発展の様が見れる展示室となっている。
天童織田家や吉田大八が実際に使用してた品々がいくつか展示されていました。
ここで天童織田藩の多くの情報と写真を提供して貰いました。 (-人-) アリガタヤー

開館時間9時30分~18時(入館は5時30分まで)
11月~3月は9時~17時(入館は4時30分まで)
休館日毎週月曜日。ただし月曜日が祝日の時は翌日に。
年末年始(12月29日~1月3日)
入館料一般200円、高校生100円、小中学生無料。
公式サイト:天童市立旧東村山郡役所資料館


広重美術館天童広重

広重美術館(ひろしげ)
時は江戸時代後期の頃、天童織田藩の財政は借金ばかりで改善の兆しが無かった。
返す宛も無いので、当然お金を借りることすらままならない状況になっていった。
江戸詰の天童藩士と狂歌を通じ、親しい仲にあった江戸の浮世絵師・歌川広重に
絵を描いて貰い、その絵を褒美や借金返済の代わりにと藩民に与えた。

多くの肉筆画を書いてもらい、当時は200~300幅ほどあったと言われている。
明治になると外国や愛好家らにより、都市や海外へ出回ったが、震災や戦災により多くは消失。
現在では天童市には19幅残り、国内外をあわせても80幅程度と少なく貴重な浮世絵となっている。

天童では書いて貰ったその肉筆画の作品群を『天童広重』と呼んでいる。
広重美術館では、天童広重の他に絵師・彫師・刷師の繊細な技の匠を映像や
刷師の体験コーナー、銘付き(月山)の日本刀、多数の本を展示していた。
浮世絵で天童藩が救われたとは、美術品の価値とは計り知れないものだな。

開館時間4月~10月は8時30分~18時(入館は5時30分まで)
11月~3月は9時~17時(入館は4時30分まで)
休館日毎週火曜日。ただし火曜日が祝日の時は翌日に。
月末・月初の展示替時3日間(不定休)
入館料一般600円、大学・高校・中学生500円、小学生300円。
公式サイト:広重美術館


観月庵

観月庵(かんげつあん)
建勲神社の参道入口の所にあるお寺。
戊辰戦争で、天童織田藩が奥羽列藩同盟に加わるにあたり、家老・吉田大八の身柄引き渡し
を要求したため、藩の事情を知った大八は自ら米沢藩へ出頭し、その後この地で切腹をした。


佛向寺

佛向寺(ぶっこうじ)
観月庵の近くにあるお寺で、一向上人が開いたお寺。最初は天童市北西部にあったが
文政8年(1825)にこの地に再建された。ここには吉田大八公のお墓がある。


三宝寺仰徳殿

三宝寺(さんぽうじ)
文政13年(1830)に、幕府寺社奉行より天童織田藩の菩提寺に申し付けられた。
境内には天童織田藩から110両が下贈され、織田家累代の御霊屋(おたまや)が建立された。
一度、慶応4年の戊辰戦争で三宝寺は焼かれ焼失したが、御位牌は運び出され難を逃れた。

現在ある御霊屋・仰徳殿(こうとくでん)は、昭和6年(1931)に元織田藩士族の会(天童養正会)
により再建されたもので、その時に仰徳殿と称しました。
普段は中には入れないが、仰徳殿の中には織田信長をはじめ79名の御位牌と
当時の宣教師が描いた、信長公にもっとも似ている肖像画が安置されています。


天童御陣屋絵図
左:調武館・稽古所跡。右:天童御陣屋絵図(*画像クリックで拡大表示可能)

天童御陣屋跡を巡り田鶴町を観光
現在の天童市には、天童織田藩の跡らしき物はほとんど見当たらないが、田鶴町の大手門から
少し先に行った所には天童御陣屋絵図が置かれ、各場所には立て看板が立てられている。
御殿なんかは今や神社と公園があるだけの地になっており、天童織田藩の旧跡の大部分が
民家になってしまっていた。近くには吉田大八の屋敷跡などもあったが、民家や教会になってた。

喜太郎稲荷神社吉田大八の屋敷跡


高畠町の織田藩旧跡


高畠織田藩の場所と地図
▲画像クリックで拡大可   山形県高畠町 - Google マップ

置賜郡高畠町高畠町郷土資料館

高畠町郷土資料館
置賜地方の安久津八幡神社の所にあります。そこから千年松側にあり高畠を知る郷土資料館。
中は高畠町で出土された、縄文時代の石器や土器などが豊富に展示されている。
高畠織田藩についての資料はそれほど多くはないが、高畠織田藩2万石の領地地図や
織田信浮が稲荷明神に奉納した絵馬などが展示されていた。伊達家や黒井堰の資料も若干有り。

開館時間9時30分~16時30分
休館日月曜日。年末年始(12月28日~1月4日)
子供の日及び文化の日を除く国民の祝日。
*冬季期間は休館してる場合があります。
入館料大人100円、学生50円、小人無料
公式サイト:高畠町郷土資料館


貞泉寺子育地蔵尊

貞泉寺
ここは高畠城主の菩提寺だが、境内の方には高畠織田藩の織田信浮の伯父・織田信常夫妻の
お墓があり、織田家の菩提寺となっている。他には子育地蔵尊が傍らにあった。

高畠城跡の堀妙国寺

高畠織田藩の旧跡を観光
羽州高畠織田殿領分の旧跡を観光して来ましたが、現在ではほとんど無い状態でした。
あると言えば、高畠城(鐘ヶ城)の水を溜めた三の丸の堀跡部分や
織田家臣のお墓がある妙国寺があるだけだった。絵馬を奉納した稲荷明神跡は現在は高校の
敷地になり、高畠陣屋があった場所は高畠小学校の体育館が建っていた。

下級武士の家中屋敷や、大手門、鉄砲職人や家中が住んでいた敷地も、今や民家や畑になり
あとは有るか無いかの土塁跡のみでした。


表門の大手門があった所は保育園に。歴史の面影が見れる部分は特に無かった。


▲高畠・天童織田藩ゆかりの地の動画

織田藩の歴史跡を巡った感想
織田藩の歴史跡を巡り、あれやこれやと眺めてきたが、なんか山形に移住した織田藩の結末を
見た気がした。こうした古き歴史とは、自然と共に埋もれ人々の記憶から無くなって行くのだな。

苦しいご時世で大した実績も無く、ただただ大名復帰を願い、頼みのツタも無い織田藩であったが
天童の地にすべての夢をたくし、織田家の誇りのみを持ち新天地を目指した
織田藩の気持ちが感じとれた旅でした。果かない夢であったが、これもまた人生なのだろうな。



記事のコメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する


| 山形旅行 - 観光、温泉、名所、宿泊 |




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。