米沢市万世堂森に眠る前田慶次郎跡の解明に迫る


前田慶次供養塔
▲米沢市万世堂森にある、前田慶次供養塔の写真

堂森善光寺
堂森善光寺の和尚に習いを受ける
前回、こちらの前田慶次の記事で堂森を
巡った訳だが、多くの謎を残したまま終了。

直江兼続に続き人気の高い武将であるが
その割りには情報があまり上がらない。
一体、万世堂森にはどれだけ慶次郎の跡が
残っているのか疑問に感じるものだ。
しかし、今回ひょんなことから、堂森善光寺の
和尚に習いを受け謎から解明に繋がった。
            ▲堂森善光寺


傾奇者・前田慶次郎とは?
前回も前田慶次の記事で話したが、今回も知らない方のために軽くつまんで説明しよう。
まず慶次郎は、加賀百万石の前田利家の甥にあたり、利家と共に織田信長に仕えていたが
お城での仕事が嫌で、利家を水風呂に入れて出奔したという逸話がある。

それで京の街をお供と旅していた所、上京していた上杉の重臣・直江兼続と出会い気が合うようで
そのまま上杉景勝へ条件付きで仕官した。京から山形の米沢まで旅した記録は現在も残っており
前田慶次道中日記にその内容が見られる。

漫画の『花の慶次 -雲のかなたに-』では、前田慶次郎は若い人相で描かれているが
実際は老年で60歳ぐらいで年齢で米沢にやって来た。加賀には妻と子を置いてきて、老年ながらも
夢を求める慶次郎の無頼気な所が好きだと天地人の著作:火坂雅志さんは語っておった。

長谷堂城での戦いでは負けはしたものの、槍の名手でもあった慶次郎は朱色の槍を手にし
勇猛果敢に殿(しんがり)役をこなし、最上軍の追ってから上杉軍を米沢に撤退させたと伝わる。
その後慶次郎は、堂森の無苦庵(むくあん)で余生を過ごした。

前田慶次グッズと前田慶次供養塔


善光寺前田慶次の登り旗

おや!?本堂に入れそうだぞ
堂森善光寺は真言宗豊山派の寺院で、出羽の善光寺とも呼ばれている。善光寺如来像と
見返り阿弥陀像が安置され、県指定有形文化財となっている。
して、その本堂の階段を登り横から中へ入れます。前田慶次供養塔の方ばかり見ていると
案外気付かない。中には和尚がおり、前田慶次グッズが販売されてました。

前田慶次グッズ前田慶次の扇子

前田慶次供養塔
前田慶次グッズが増えました
さっそく本堂に入ると机一台分ぐらいの広さに
多くの前田慶次グッズが置かれていた。
本堂の観覧料金は確か300円だが、グッズ売り
場を眺める程度なら入場料はいらないとのこと。

ここで平成21年2月吉日にできた『米澤前田慶次の会』による観光マップを入手できるので和尚に
気軽に話しかけると良い。


前田慶次供養塔について
して、ここで堂森にまつわる前田慶次郎の跡や、米沢の観光処について情報を収集できた。
まず右上の登り旗に見る家紋は前田慶次の家紋ではなく、加賀藩の家紋なのだそうだ。

慶次郎は慶長17年(1612)6月4日に亡くなったと諸説に有るそうだが、埋葬されたのが善光寺
なのか、今は火災で亡き寺・一花院なのか定かではない。そのためこちらで昭和55年に
慶次の御霊を祀るため堂森で前田慶次供養塔を建立した。
供養碑を覆う外観部分は、およそ2,3年前(現2009年)に造られ供養碑を保護したのだとか。

前田慶次グッズ

慶次の力石


慶次の力石前田慶次の力石

前田慶次が持ち上げた石
慶次の力石は一体どこにあるの?と和尚に尋ねると、すぐそこにあると言われた。
来るときには周囲を眺めながら来たので、案外目の前にある物には気付かないものだな・・・

それでこの石は安山岩による石で、慶次が力試したと伝わるもの。里人との力自慢で
持ち上げたそうな。この慶次の力石は持ち上げは禁止されているが、実際に触れても可能な石。
側の張り紙には「そっと手で触れて慶次の力を感じて下さい」と書いてある(笑)
見た感じでは、重さはたぶん70kgぐらいじゃないのかね。力自慢にさぞかし花が咲いたであろう。

慶次清水


慶次清水

水神様の祠
綺麗に整備された慶次清水
前述した米澤前田慶次の会が、慶次郎の跡
巡りでもっとも人気なスポットである慶次清水
から整備したそうだ。

慶次郎はここで飲用水として使用したことから
その名前で呼ばれ、傍らにある祠は
水神様を祀ったものだそうです。
堂森ではこの慶次清水から水を引き
農業用水として現在も利用しています。

米沢市万世堂森の慶次清水
写真や動画では分かりにくいが、水の透明度がずいぶん上がり綺麗になってました。

無苦庵跡


慶次郎の住宅跡無苦庵跡

慶次郎の住まいの無苦庵跡
慶次郎が住んでいた無苦庵はもう無いが、現在でもその跡が残っていると和尚に聞いた。
今では田んぼと民家が建つ風景だが、この辺りに慶次郎は無苦庵を建て余生を過ごした。
友人の直江兼続や志駄修理らが、無苦庵を訪ねて来たと伝わるそうです。

それで現在では土塁の一部と堀跡ならあるそうだ。現地へ赴き調べた所、右の写真が土塁と
堀部分だと思う。他に跡らしき箇所は見当たらず、あの側の木の樹齢を考えるとたぶんココだろ。


太郎兵衛屋敷跡


太郎兵衛屋敷跡

満つれば欠ける
ここは太郎兵衛という肝煎が住んでいた屋敷跡です。新築当時は祝いにと親類や客人を招いた。
慶次も一番の上客として招かれ、「此家の新宅祝に、御家繁盛、無病息災の呪い(まじない)を
してつかわす」と慶次郎が言い、斧を持ってくるように命じ、斧を手にすると新築したばかりの
床柱にバシッと斧で傷を付けた。招かれた親類らはビックリ!

太郎兵衛は怒ったが、慶次郎は「月が満つれば欠けるのは道理」と言い、家が完成したのなら
身代が潰れ一家の滅亡となるのじゃ。よくこの道理をわきまえろ、決して有頂天になるな
と悟したエピソードがある太郎兵衛屋敷跡だ。


現在は何も無かった。月が欠けたのだろうか・・・。側の川には小魚が泳いでた。

志駄修理義秀のお墓と月見平



志駄修理義秀について
前田慶次供養塔の裏側の坂には多数のお墓があり、上側の方に直江兼続の与板衆・補佐の
志駄修理義秀のお墓があるそうです。たくさんありすぎて、どれが志駄氏のお墓か不明だった・・・

志駄(志田)氏は兼続の家臣であり、上杉家が越後から会津120万石に移封されると
庄内地方を任せられた。慶長6年の長谷堂城合戦では庄内から最上軍の各城を攻め奮戦した。
長谷堂城合戦の全軍撤退では落ち延び、その後白鷹町にある荒砥城代を命じられた武将です。
観音開き格子目状の塔身が特徴的で、家型塔婆様式の万年堂のお墓になっているとのこと。


善光寺が小さく見えるな~
さらに登ると月見平があります。こちらは道がまだ整備されておらず、不憫な想いをするだろう
と和尚に言われたが、旅人には『前進』の2文字しかない。靴の中には落葉や土が入るという悪路。
登ること6分ぐらいで月見平に到着しました。急な坂で尚且つ足場が悪く息が上がってしまった(汗

月見平月見平の山の神

この月見平では、慶次が地域の住民や友人を招き、月見などの遊山を楽しんだ場所なのだそうだ。
現在では木々がビッシリと生茂った状態だが、昔は瓢箪の形をした平坦な丘だった。
月見平には山の神講の祠が祀られてました。


堂森の風景を眺めながら休憩。右にあるデカイ建物は給水塔だそうだ。

白山堂跡と尼寺跡


白山堂跡

何も無いな・・・
給水塔の裏側には、元禄8年(1695)に作成された『堂森秋月』の絵に建物が描かれているが
実際によく観察してみたが、建物の跡らしきものは何も見えなかった。
この雑草をどかさなきゃ分からんねぇ。確か堂森秋月の絵は新版の前田慶次道中日記の
表紙になっているはずだ。一度見たことがあるが、確かに小さい建物が描かれていました。

勇猛果敢にヤブの中へ突入・・・
うわぁー、こちらはまったく整備されておらず
上には比丘尼平『尼寺跡』があるそうです・・・

どう見てもこりゃ月見平の丘より大変だろう。
まず道が無いし、1m以上の細かい木々だらけだ。
されどこの丘を登らずに帰ったら漢じゃねえな。
ここは、ご期待に答えなければならぬのだろうな。
今日2度目の登山・・・


オリャー強行突破じゃ!2,3箇所トゲトゲに引っかいてしまった(>_<;) イテテッ

尼寺跡

「見返り阿弥陀」の伝説
着いたぞ!何やら祠がある。どうやらここは善光寺が中興したという益王姫の伝説が伝わっている
のだとか。長田庄司忠次が源頼朝に敗れ、妹の益王姫が尼となり苦しい旅を続け
出羽国へたどり着いたが、追っ手に発見されると背中に背負っていた阿弥陀像が振り返り
追っ手を睨んで倒した。それで振り返った姿の阿弥陀像が堂森善光寺に祀られている。

米沢市万世堂森の風景
ほんのちょっとだけ前田慶次になれた気がしたよ。善光寺の和尚と米澤前田慶次の会に感謝!


会員入会とグッズ販売の資金の流れを私的に考察
2009年2月とできたばかりの『米澤前田慶次の会』、善光寺でのグッズ販売での資金の流れを
私的に考察した。まずは何故このタイミングで会の立上げと、お寺でのグッズ販売なのか?
それは大河ドラマ天地人の効果にあやかり資金を得るためだろう。

では、その集めた資金はどうするのだろう?
私利目的に使用するのだろうか・・・? いや、その答えは『否』だ。
何故なら、もしそのような利用ならばボランティアらが、最初から手伝うことはないはずだ。
しばらくその疑問を考えていたが、現地を巡ったらその答えが出た。

それは善光寺で慶次グッズを撮影しながら、和尚と話をしている時に気づいた。
和尚は軽くグッズの説明はしたが、グッズを買わすようなことも、会員を進めるようなことも
何一つ言わなかった。きっと向こうは仏に仕える身であり、自ら利を求め進言するようなことは
言ってはならぬのだろう。それを悟った瞬間せつなく感じたものだ。

雑草の除去や道の整備、周辺の観光案内ならボランティアらで解決できる問題だが
無苦庵の再建や供養祭となれば、多額の資金が必要になるのだろう。
市の補助金だけで、まかなえる物とは到底思えん。
また和尚が自らグッズ販売をしたくて、売り子をやっている分け無い。

慶次の供養を絶やさず継続するにしても、観光案内版を立てるにしても資金が必要だ。
向こうの気持ちを察し、どうか大人な見方で支援して上げてください。
米澤前田慶次の会公式ウェブサイト


▲堂森周辺の前田慶次郎の歴史跡の動画

米沢市万世堂森の場所と地図


山形県米沢市万世町堂森の地図
▲画像クリックで地図拡大表示可能
山形県米沢市万世町堂森善光寺 - Google マップ

万世堂森の前田慶次の観光地は上の通りです。高畠町の亀岡文殊堂や、米沢市の一花院や
慶次の甲冑についてはこちらの前田慶次の記事でご参照を。
全部巡った印象としては、坂を登る所以外はすんなり回れるので、坂道以外がオススメかな。
坂道を登るのであれば、飲み物を持っていくことをオススメしておきます。




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