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直江兼続の歴史が残るゆかりの地の地図と内容


山形県米沢市地図マップ
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山形県米沢市丸の内1丁目周辺の地図 - Yahoo!地図情報
米沢市観光・上杉神社 - Googleマップ

米沢城跡
米沢市の直江兼続をめぐるゆかりの地
松岬神社・稽照殿・伝国の杜の場所は、米沢城・上杉神社の所にあります。
米沢市で直江兼続を観光する上で、4,5時間の眺める時間があるのだとしたら
稽照殿や伝国の杜、宮坂考古館、春日山 林泉寺あたりを眺めると良いかも。
毎年4月29日~5月3日には上杉謙信の祭り・米沢上杉まつりがあるので、セットで眺めに来ると
より米沢市の観光を楽しめるかと思います。(かなりの観光者で溢れるので時間に余裕が必要)

1日米沢市に宿泊しての観光だと、興味があるなら前田慶次の跡や上杉家御廟所
眺めるてはいかがかな。
白布温泉は地図には表記されていないが、大平温泉からさらに県道2号を車で
18分ぐらい走らせた山の中にあります。米沢城跡から距離が遠いので車での移動になる。
前田慶次を巡った観光スポットでしたらコチラ⇒米沢・前田慶次郎の歴史跡

場所名 内容

松岬神社(まつがさき)
伝国の杜の手前にある神社で、祭神は上杉景勝、直江兼続
上杉鷹山、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政の6柱を祭神としている
神社。上杉鷹山公以降の名前については、米沢藩が貧乏だった
時期に藩を支えた方々です。松岬公園の側にある神社です。

米沢城跡(よねざわ)
現在の米沢城の本丸跡には、上杉謙信公を祭神としている
上杉神社が建っている。上杉景勝が会津120万石の城主だった頃に
直江兼続は米沢をまかせられ、米沢城の城主だった。
関ヶ原合戦後は、会津120万石から米沢30万石に減封されたため
米沢城は兼続の上司の上杉景勝へ返還された。
参考記事:米沢城・上杉神社

稽照殿(けいしょうでん)
上杉神社の宝物館であり、上杉神社の隣にある建物です。
中には直江兼続所用の愛の前立てや、上杉家に伝わる甲冑や
刀剣類、衣裳や絵画などがたくさん納められています。

休館日:12~3月下旬頃まで。1月1~3日や、上杉雪灯篭まつりの
期間は別だが、冬の期間は基本的に予約をしないと入れません。
開閉時間:9:00~16:00 電話:0238-22-3189 一般:400円

伝国の杜(でんごくのもり)
米沢市上杉博物館では上杉家の文書や上杉本洛中洛外図屏風
などが多数あり、現在(2009年)では天地人博2009が開かれており
大河ドラマ天地人で使用された小道具を多数展示している。

開閉時間:9:00~17:00 電話:0238-26-8001 一般:700円
休館日:4~11月の毎月第4水曜日、12~3月の毎週月曜日

直江屋敷跡
直江兼続が生きていた当時は、この周辺あたりに兼続の屋敷が
建っていたとのこと。
現在は看板のみを残す場所で、民家が建っていて昔の面影を
見ることは無い。場所は伝国の杜の裏側の道路を挟んだ所にある。

春日山 林泉寺
直江兼続とお船のお墓がある。他には武田信清などの墓もあり
上杉家の重臣達の墓も多数ある。米沢三名園の一つがある。

開閉時間:9:00~17:00 12月~3月は要予約。
入場料:お墓は100円。林泉寺の堂内は300円。
参考記事:春日山 林泉寺

宮坂考古館(みやさか)
直江兼続が長谷堂城合戦で着用した、梵字で書かれた愛の前立て
前田慶次や上杉謙信などの甲冑が展示され、まさに圧巻。
別館には大阪冬の陣で活躍した火縄銃が展示されている。

開閉時間:10:00~17:00(10~3月は16:00まで)
休館日:月曜日、祝祭日の次の日 一般:300円

直江石堤
現在では眺めおっとりとした公園だが、当時の直江兼続がいた頃は
大雨が降ると松川が反乱し、城下町は洪水の被害を受けたので
自ら赤崩山に登り、川の状況を観察し堤防を築いた。
近くには蛇土手と呼ばれる、石を積み上げた堤防が現在も残る。
参考記事:直江石堤

龍師火帝の碑(りょうしかてい)
直江石堤から上流の方にある碑で、龍師火帝の文字が刻まれてる。
これは直江兼続が水と火の神に祈った碑で、米沢の城下町を
洪水や旱魃の被害を防ぐために建てた碑です。
ここから水を引いて、田畑を潤す水や城の堀の水を調達している。
参考記事:龍師火帝の碑

芳泉町(ほうせん)武家屋敷
現在も武家屋敷が数件ほど残っており、ウコギが植えられている。
兼続は下級武士をこの地に住まわせ、松川が洪水で
反乱してしまった場合に、すぐに対処しやすいよう配置した。
ウコギを米沢に初めて持ち込んだのも直江兼続です。
参考記事:米沢市芳泉町の武家屋敷

法泉寺(ほうせんじ)
上杉景勝と直江兼続が創建した神社で、当時は禅林寺と呼んでた。
現在はもう無いが、九山和尚を招き禅林文庫という学問所があった。
兼続は朝鮮出兵の時に、戦の合間に中国で本を収集し
禅林文庫に納めていた。
参考記事:法泉寺

西明寺(さいみょうじ)
越後から米沢へ移封にともない移ってきた神社で
ここには直江兼続が鷹狩りの際に訪れ読んだと伝わる
漢詩があり、現在もその漢詩の内容が石碑に刻まれている。
参考記事:西明寺

東源寺(とうげんじ)
上杉家の移封にともない会津・米沢と移転してきた。
直江兼続を祀るために伽藍の建物を建立し
兼続とお船の嫡子・平八景明の位牌を祀っている。
五穀豊穣を祈願し、境内には五百体の羅漢像がある。

白布温泉(しらぶ)
直江兼続はこの高湯で、江州国友村と泉州堺から鉄砲鍛冶職人
を招き、ここで火縄銃を作る工場を建て大量に鉄砲を作っていた。
現在では、直江城州公鉄砲鍛造遺跡の碑の記念碑だけが残る。
参考記事:白布温泉


山形城跡
山形県内の直江兼続に関する観光地
米沢市以外でも、直江兼続の歴史が残る地が多々あります。
長谷堂城跡や畑谷城跡を観光するのであれば、先に山形城(霞城公園) と最上義光歴史館で
最上義光のことや屏風による戦いの様子を、眺めてから行かれるのが良いように感じる。

理由は先に城跡から眺めても、内容がよく分からず城跡の魅力に気付けるとは思えないからだ。
最上義光歴史館では、音声案内や映像による資料があるので内容が理解しやすい。
尚、山形城から長谷堂城・畑谷城までの距離が遠いため、車での移動になるでしょう。

場所名 内容

長谷堂城跡(はせどう)
奥羽の関ヶ原合戦とも呼ばれる戦いで、上杉軍率いる直江兼続と
山形城主の最上義光とが争い、両者とも多くの武将が亡くなった。
上杉家、最上家共に歴史ががらりと変わった場所。
参考記事:長谷堂城跡長谷堂城合戦

畑谷城跡(はたや)
直江兼続が率いる本部隊が、長谷堂城を攻める前に落城させた城。
畑谷城にいた江口光清は少ない兵で勇猛果敢に戦ったが
人数に差がありすぎて、上杉軍にわずか2時間で攻め落とされた。
参考記事:畑谷城

最上義光歴史館
山形城(霞城公園)の東大手門の近くに建てられ、長谷堂城や
畑谷城など、上杉軍と最上軍が激しく争った内容を詳しく学べる。

開館時間:9:00~16:30 休館日:月曜日、12月29日~1月3日
一般:300円 毎週土曜日は小・中学生は無料。
参考記事:最上義光歴史館

富神山(とかみ)
上杉軍を率いる直江兼続は、この富神山の山頂から山形城を
眺めて最上軍の状況を知ろうとしたが、霧が邪魔して見えなかった。
10日間待ったが霧は晴れず、そのため山形城は霞ヶ城
(霞城:かじょう)と呼ばれる由来になったと伝わる。
兼続は関ヶ原で西軍が敗れたと知ると、全軍撤退を命じた。

熊野大社
日本三熊野の一つで南陽市にある。屋根の造りが特徴的だ。
慶長9年の熊野宮建建棟札には『大旦那直江山城守』の
記録が残っている。兼続は拝殿を改修。伊達政宗にも安堵された。
参考記事:熊野大社

亀岡文殊堂
上杉家が会津120万石から米沢30万石に移封され
苦しい時期に直江兼続は家臣らをここに集め、連歌を開いた。
前田慶次郎や兼続の弟・大国実頼などの和歌なども
残っており、寺の宝として蔵に納めてある。
参考記事:亀岡文殊

鮭延城跡(さけのべ)
真室川町にある城跡で、小高い山城。現在は本丸跡には
石碑だけが残り、眺めの良い場所だけとなっている。
長谷堂城合戦では、上杉軍の大軍に少ない手勢で攻撃をしかけ
直江兼続にその勇敢さは「信玄、謙信にも覚えなし」
と言われた名将・鮭延越前守秀綱の居城。
参考記事:鮭延城

出羽三山歴史博物館
庄内地方にある羽黒山頂にある資料館には
直江兼続が祓川橋の鉄擬宝珠を奉納した物が残っている。
上杉家が会津120万石の時に奉納された鉄の擬宝珠(ぎぼし)。

開閉時間:8:30~16:30 休館日:11月下旬~4月中旬
入館料:大人200円 参考記事:羽黒山
総宮神社
總宮神社(そうみや)
長井市にある神社で、直江兼続が山形の最上軍の支城・畑谷城を
襲う前に戦勝祈願を行ったと伝わる神社。

総宮神社の宝物殿には、兼続が奉納した刀剣や、兼続のの家来が
である青木丹波守が始めた、長井黒獅子の獅子頭などがある。
外には兼続が手植えしたと伝わる、直江杉が現在も数本残っている。
参考記事:総宮神社
朝日軍道
朝日軍道
長井市の草岡から鶴岡市の朝日村を結ぶ約60kmの山道で
飛び地になっている庄内へ荷物を運搬する際に
最上領土を越えなければならなかったので山を切り開いた。

慶長出羽合戦で上杉軍の主力部隊が、畑谷城へ攻め行った時も
この朝日軍道を通り、最上領土へ侵入した。
参考記事:朝日軍道
御楯稲荷神社
御楯稲荷神社
白鷹町の荒砥城跡にある御楯稲荷神社では、兼続による改修や
行われたと伝わり、畑谷城へ出兵する前は荒砥城の神社で
戦勝祈願を行ったとも伝わる。

兼続は狐越街道で道に迷っていると、白い狐が現れ道案内を
してくれたお陰で、無事に畑谷城へ到着できたという逸話がある。
参考記事:荒砥城跡
直江山城守本陣跡
直江山城守本陣跡
山形市長谷堂のすげさわの丘にある直江兼続が敷いた本陣跡。
長谷堂城から近い距離に本陣を置き、半月に渡り最上家と合戦。
上杉勢はここを拠点に長谷堂城を約2~4万の兵で囲み、
総攻撃を何度か仕掛けた。
参考記事:直江山城守本陣跡




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