上杉家の武将や直江兼続のお墓がある春日山 林泉寺

▲春日山
林泉寺(りんせんじ)にある、左・
直江兼続と右・お船の方のお墓
- ・場所:山形県米沢市林泉寺1丁目2番3号 電話:0238(23)0601
- ・料金:お墓の拝観料は100円。林泉寺の堂内は300円
- ・期間:9:00~17:00。12月~3月は要予約。*堂内は法要がある場合は入れません。
- ・駐車場:春日山 林泉寺の入口側(無料)
- ・米沢市の名物・特産品:米沢牛、米沢鯉、舘山りんご、うこぎ、雪菜、織物、笹野一刀彫
- ・宿泊先:米沢市格安宿泊ホテル旅館

上杉家の菩提寺と山門について
米沢市には
上杉家御廟所という上杉家歴代のお墓があるが、他にも春日山 林泉寺の方にも上杉家の菩提寺があります。こちらは上杉家ゆかりの人物や重臣などのお墓がある。
入口の方では古びた林泉寺山門があり
これは明治35年に、旧侍組竹俣(たけのまた)
家の門を移したもので、
上杉鷹山公もくぐった。
▲林泉寺山門


林泉寺の駐車場と本堂の様子
春日山 林泉寺について
この春日山 林泉寺は曹洞宗で、寺名は越後守護代・長尾能景(よしかげ)が父・重景(しげかげ)の
法名『林泉寺殿實渓正眞大居士』から取ったもので、山号は
上杉謙信が長尾家から上杉氏を
相続した時に、上杉家の氏神・春日明神を境内に祀ったので春日山 林泉寺としました。
もっとも林泉寺が建造されたのは、明応5年(1496年)に新潟県上越市(越後国高田)の蜂ヶ峯の
麓に建立されたもので、
上杉景勝の代で米沢に移封され元和3年(1617年)に
高田林泉寺から米沢へ移ったお寺です。
米沢の民芸品・笹野一刀彫お鷹ぽっぽを観察


笹野一刀彫のお鷹ぽっぽについて
林泉寺の本堂から上杉家のお墓へ行く途中では、七代目・辰五郎さんがお店を開いている。
米沢にはいくつか民芸品があるが、その内の一つ笹野一刀彫のお鷹ぽっぽがある。
お鷹ぽっぽの『ぽっぽ』とはアイヌ語で玩具という意味で、魔除けと伝わる槐(えんじゅ)の木を
一刀彫した物。幸運を招く置物とされ、上杉鷹山公の時代からできたものだ。
その昔、米沢藩は日本でもっとも貧乏な藩で、借金だらけで生活するのに苦しい時代があった。
そこで上杉鷹山公が下級侍のために、造るよう推奨した伝統ある民芸品です。


▲直江ぽっぽ ▲謙信ぽっぽ
久しぶりに春日山 林泉寺へ顔を出したら新商品ができたようで、直江ぽっぽと謙信ぽっぽが
売ってました。このお店では笹野一刀彫による種類が豊富で、他には伊達政宗が手紙に
押したスズメのハンコに描かれている雀や、上杉家の家紋の阿吽の雀を彫った物も売っていた。
こういった伝統工芸品は跡継ぎがいないようで、現在では3軒程度でしか売っていない代物だ。
ここまで作れるようになるまでは10年はかかり、また商売としてはあまり儲からないので
店が潰れ、職人も次第に減ったのが現状のようだ。
旅人、米沢の知識の大部分をここで得る
ここへ訪れると、つい1時間ぐらい話混んでしまう。辰五郎さんは、かれこれ15年近くここで商売
しているので、やはりそれなりに米沢のことについて詳しい方だ。
あらゆる情報を聞いたが、林泉寺では武田家や上杉家の末裔がお墓参りに訪れるそうだ。
いや~何とも気の良い方で、右の色の染まっていない小亀をプレゼントされちゃいました^o^
米沢の歴史について何か知りたければ、気軽にここで聞いてみると良い。
物を購入したりすると「おしょうしな」と言ってくるが、それは「ありがとうございました」の意味也。
上杉、武田家のお墓へ


▲ふれあし観音 ▲万年堂
ふれあし観音と万年堂について
- お鷹ぽっぽ売り場から墓場の方へ向かうと、最初に目にするのがふれあし観音である。
これは辰五郎さんに聞いた話によると、観音様にお参りして観音様の足を触ると足腰が
丈夫でいられる功徳を得られるそうだ。あの石の台に上がり勝手に足を触っても良いようだ。
私は山道を歩いたりする方だから、入念に観音様の足をふれました。
一方、右の写真はお墓であり、家のような建物に穴が開いている。あれは米沢や置賜地方に
見られる独特のお墓で『万年堂』と呼ばれる物です。その万年堂を編み出したのが直江兼続で
その昔、上杉の城下町は洪水による被害が多かったので、万年堂を利用して水を堰き止めたり
米沢が戦場になった場合、敵の弾避け用で盾の効果のため、あの様な構造にしたのだ。
戦国時代からあるお寺には、あのような自侍が有利に戦いやすい配置になってたりします。


▲お豊の方 ▲仙桃院
お豊の方と仙桃院
お豊の方とは上杉鷹山公の側室にあたる方で、共に米沢の反政改革を支えてきました。
上杉鷹山公の正室・幸姫(よしひめ)の方は江戸の方で暮らしてました。
右は仙桃院(せんとういん)のお墓です。左に仙桃院と刻まれていたので、左の墓石の方が
仙桃院のお墓だと思われます。上杉謙信の姉で、上杉景勝の生母でもあります。


▲菊姫(甲州夫人) ▲武田大膳太夫信清
菊姫
- 菊姫は武田信玄の六女として生まれ、武田信玄が死去し勝頼の時代になると織田信長との合戦
長篠の戦いで惨敗し敗退したが、その後織田軍に追い討ちをかけられ武田家は衰退する。
そこで菊姫を上杉景勝の正室にさせて、武田家は織田軍に対抗しようとした。
菊姫は上杉家では、甲州夫人と呼ばれていたそうだ。
武田信清
- 右は武田信清(のぶきよ)のお墓です。武田信玄の六男で、唯一信玄の男の子孫の生き残り。
織田軍に追われ、上杉景勝に嫁いだ菊姫を頼り落ちのびてきた。
上杉家では上杉家一門・高家衆筆頭として3300石を与えられ、その後子孫も米沢で暮らした。
武田信玄が生前の頃「もし人に頼らなければならない状況だったならば、敵国・上杉家だろう」
と言ったという逸話がある。信清はそれが頭にあり、上杉家に頼ったのではないだろうか。

杉原親憲
杉原親憲は
長谷堂城合戦では、
上杉鉄砲隊を
率いていた部隊で、
最上義光が長谷堂城へ
援軍を送るが、上杉鉄砲隊による襲撃に合い
失敗に終わる。
長谷堂城合戦の追撃戦では、
前田慶次郎らと
共に、殿軍を勤め米沢へ帰還。
大坂冬の陣においても戦功を上げる。
▲杉原常陸親憲(水原)
直江兼続とお船の方のお墓


墓場というより観光地化
こちらは直江兼続の大河ドラマ天地人で脚光を浴び、多くの人が訪れる観光スポット化している
場所になりつつあります。いや、もう今ではなっているかもしれんな~
昔は、今のように春日山 林泉寺の入口での受付バイト人すらおらず、自分で勝手に拝観料を
ポストに入れて入園する仕組みだった。最近では兼続の売店もなんかもオープンしたそうだ。
兼続とお船の同サイズの墓石について
正面を向かって左が直江兼続で、右が妻のとお船の方のお墓であるが、どちらを眺めても同サイズ
であることが分かる。これについては
天地人の作者・火坂雅志氏がある推測をしていた。
結果から先に述べると、兼続や景勝に等しい政治や発言力があったからではないだろうか?
ということだった。
まずお船の方には3千石の領土が与えられているが、これは日本では3人しかいないのだ。
それは誰か?というと、豊臣秀吉の正室・寧々(ねね)と春日 局 ( かすがの つぼね )である。
直江兼続が亡くなり、その後上杉景勝も亡くなる前に息子・定勝に
「自分もそろそろこの世にはいないだろう。すでに兼続も居ないし、もし何か困ったことがあったら
すべてお船の方に聞きなさい。」と定勝に言い聞かせた資料があるそうだ。
まぁ普通は殿様の正室や側女のお墓と言えば、大抵は一緒に並べられるのではなく
墓場の隅っこに小さく置いてあるだけだったりする。なので火坂雅志氏が言う推測については
無理のない話かと思われます。やはりそれだけ上杉家で発言力を所持した方なのだろう。
米沢三名園


紅葉時期が見頃か
他にも上杉にゆかりのある人物のお墓が多々ありますが、話が長くなりそうなので
後は自分の目でご確認を。看板が設置してあるから、大体の内容は分かるだろう。
それで林泉寺の本堂の裏側には、米沢三名園の一つがあります。広々とした池が印象的で
中には錦鯉?ぽいのが泳いでいました。こちらは割りと見逃す方が多かったりするのか・・・
春日山 林泉寺への行き方は県道2号側から行くと分かりやすいかな。
米沢城・上杉神社からは
車で5分ぐらいの距離にあるので、結構近い方です。
駐車場も林泉寺の入口側に割りと広くありますが、法要の時に至っては車がかなり駐車されて
いて満車だったが、それ以外の日ならすんなり駐車できるだろう。
林泉寺の堂内の方へも入れるが、写真が禁止されているので自分の目でお確かめを~
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