最上家と上杉家で争った地、難攻不落の長谷堂城跡

▲直江兼続が率いる上杉軍が陣を敷いた、すげさわの丘から見た
長谷堂城跡
- ・場所:山形県山形市大字長谷堂
- ・駐車場:北の石鳥居入口の手前に有り(無料)
- ・山形市の名物・特産品:サクランボ、ぶとう、玉こんにゃく、こけし、米、紅花、鋳物
- ・宿泊先:山形市格安宿泊ホテル

久々に長谷堂城跡へ出陣
ここへ来るのはもう何度目なのだろうか・・・
用が有って、近くを立ち寄り登ってみた。
あいかわらず誰も居ない所だな~
とか思いながらも、現地へ到着。
昔からここは、ほとんど城貸切状態です(笑)
人とすれ違ったのは2回ぐらいしかない。
なので殿様気分で入城!開門ーっ!
▲駐車場前の八幡入口の石鳥居
ややっ!?天地人のPR旗が!
駐車場と長谷堂城跡への入口の坂には、たくさんの天地人をPRする旗が並んでいた。
現在大河ドラマ『天地人』に先駆けて本沢(もとさわ)の保存会では、長谷堂城の歴史観光案内の
要請を受けているとかで検討しているそうだ。
上杉軍と最上軍の合戦については、こちらの
長谷堂城合戦に記載しています。
まずは近くの八幡神社で挨拶
この長谷堂城は別の山城に例えて言うなれば、新潟県にある
直江兼続の入城の与板城跡に
似ている所だ。まぁ与板城よりは横に広くはないが、構造や現存する物をとってもそれに近い。
こういった歴史ある地や、山へ立ち入る場合はまず氏神様へ挨拶するのは基本。
これを怠ると罰や災い事があるので、氏神様への挨拶とは大変肝心な事也。
長谷堂城跡の中腹ぐらい



この坂あたりから若干汗をかく
左の坂を登る辺りから息が切れてくる頃かと
思われる。ここから本丸跡に行く訳だが
ここからの眺めが良く、見渡しの利く場所だ。
途中から道が別れるが、長谷堂観音行きへ
進むと、前には見られない光景があった。
草刈がされ柵が建てられた広場が登場
していた!PRのため整備されたのだろう。
▲あら!?何だここは・・・


これだけの広場の整備は大変だったろうな・・・。ご苦労様です。
最上三十三観音の長谷堂観音堂


本丸跡近くの稲荷神社下り方面にある長谷堂観音堂

最上三十三観音の第十ニ番
こちらは村山・最上三十三観音の第十ニ番に
指定されている長谷堂観音堂です。
御本尊様は、十一面観世音菩薩で
最上三十三観音の巡礼の時期のためか
普段は開いていない扉が開いていて
中の御本尊様を観ることができました!
なんとも立派な菩薩様であった ( ̄人 ̄)
長谷堂城跡から見た風景

長谷堂城が建っていた跡から見た、上杉軍が陣を敷いた菅沢の丘の様子

なんとまた風光明媚な所よ!
この本丸跡から長谷堂城を守る志村光安は
上杉軍の陣地を日夜監視していたのだろう。
菅沢の丘からも随分よく陣状況が見えるが
こちらの方がさらに一枚上手ですね~
まる見えとは言え、直江兼続が率いる
最上軍は半月の間、約2~4万の兵を
たった千人で守ったのだからスゴイ!
▲現在では眺めの良い公園化している

山形城(霞城公園)方面の景色
山形城=霞城の由来
こちらは同じく本丸跡から、
山形城(霞城公園)方面を見た様子です。遠くに薄っすらと霞が掛かって
いるのがお判りですかな?あんな感じで直江兼続は、富神山の麓から山形城を見下ろすが
霞がかかり10日間城が見えなかったので、山形城を『霞ヶ城』と呼んだのが霞城の由来です。
最上義光は伊達政宗から注意されるが、自ら須川を渡り上杉軍の陣状況を観察し戦略を練った。
最上義光は長谷堂城を守り抜こうと、志村光安が戦っている長谷堂へ援軍を送るが
上杉の大軍が長谷堂城周囲をとり囲み、援軍を送っても辿り着けなかったようだ。
この辺りは紅葉の時期になると、朝は霧が降り視界が悪く、遠くを見渡せないことが多々ある。
馬ですら足を取られ渡りきれない田んぼ
上杉軍の軍勢は周囲にある田んぼに足を取られ、身動きのできない状態を最上軍が鉄砲で撃退。
長谷堂城は天然の山城であり、半月の間上杉の軍勢から守りぬいた難攻不落のお城です。
田んぼには両軍の戦死者を弔う、主水塚・掃部碑・湯の目碑が置かれ現在も供養されてます。
ここから山形城へは約7キロの距離で、最上軍にとっては最後の砦となる支城でした。
長谷堂城跡の場所は、基本的に判りやすい場所にある。むしろ周囲は山々な光景なため
あれが長谷堂城跡なのか!?と気付かないで白鷹方面へ通り抜ける方も多いだろう。
また長谷堂城は、かなり蚊が多く虫除けスプレーが必須な場所である。
特に夏は同じ場所で2,3秒じっとしてると、3箇所は蚊に刺されている始末也 (TーT)
本丸跡へ登る入口は何箇所かあるが、やはり駐車場近くの石鳥居のある所から登った方が良い。
下りる際にも別の道から下りると、方向感覚を失いやすく、そして苦労して駐車場へ行くハメに・・・
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