江戸への参勤交代により伝わった松山能

▲酒田市松山で行われている、皇大神社奉納の
松山能
- ・期間:1月第4土曜日=まつやま大寒能、6月第1土曜日=松山城薪能、8月20日=皇大神社奉納
- ・場所:1月=松山文化伝承館、6月=松山歴史公園、8月20日=蔵小路皇大神社
- ・時間:1月=13:30、6月=18:20、8月20日=18:30
- ・駐車場:各場所それぞれ
- ・酒田市の名物・特産品:庄内米、ただちゃ豆、庄内柿、酒、どんがら汁
- ・宿泊先:酒田市格安宿泊ホテル旅館

月の能『皇大神社奉納能』を鑑賞
毎年3回行われる、松山に伝わる能で月の能
と呼ばれる皇大神社奉納能の松山能を
眺めてきました。
夜からの開演なので当然暗い。皇大神社の
側には能楽堂があり、最初は神社の方で
何か神事をしてから能の準備をしていた也。
今回の内容は、狂言2番と能1番。
▲蔵小路皇大神社
松山能の歴史
- 松山能は、江戸への往来が頻繁に行われていた頃の時代に、江戸勤番の藩士が習得して
松山に伝えたのが松山能の始まりである。
寛文年間(1661~1672)に、初代藩主である酒井忠恒が藩の式楽として定めた。
1732~1787年、三代目にあたる酒井忠休の時代頃から盛んになり多くの謡本が残されている。
明治維新後になると、松山能は武士能から町方能となり、蔵小路皇大神社(神明神社)の
氏子達により能楽堂(能舞台)が建設された。8月20日がその神社の例祭で、神事能である。
その後長い年月が経ち、松山能の消滅の危機もあったが、民間の演能団体である『松諷社』に
引き継がれ、現在も松諷社に継承されている。
現在見ている松山能は、藩政時代に多く謡本が残されてはいるが、長い間語り継がれるうちに
明治時代に宝生流(加賀)の指導を受け、その後黒川能の影響もあり独特の能となっている。
300年以上も続いている松山能は、昭和55年に山形県無形民俗文化財の指定を受けました。
子ども狂言 六地蔵


平成元年に松山小学校で狂言クラブが結成され、伝統芸能をの継承に努めているそうだ。
彼らは今回が初めての能舞台と言っていた。
六地蔵のあらすじ
6体の地蔵を購入し安置しようと思い、田舎では不便なので都にやって来て購入宛を探した。
都に到着すると、ある男で出会い六地蔵を求めてやって来たと言うと、男は6体の地蔵なら
三年三月掛かると言ったら、田舎からやって来た購入者は「もう少し急いで作ってくれ」と言った。
男は楊枝すら作ったことないが「弟子達にまかせれば明日には完成できる」と金欲しさに嘘を言う。
男は弟子3人達に、金を貰うまで六地蔵の格好とポーズを指示した。3人では地蔵3体足りないので
別の場所へ安置したと騙すことにした。
次の日に購入者が訪れ地蔵を確認し拝み、六地蔵がそれぞれ安置している場所へ行ったり来たり
何度か往復して確かめた所、どうもポーズがさっきと比べ、変化していることに気付いたという話。
狂言 柿山伏

柿山伏のあらすじ
羽黒山で修行している駆け出しの山伏が本国へ行こうとしていた。
その山伏は飛んでいる鳥をギョウリキで落とすことができる。急いで本国へ行こうとしている途中で
山伏は喉が渇き、周りを見渡したが茶屋が無かったが柿が実った木を発見した。
喉を潤うそうと、柿の木へ石を投げたり縄を投げたりして柿を取ろうと試みるが、なかなか取れない。
柿の木の側を見ると少し高くなっている所から柿の木へ登り、柿を取ることに成功した。
柿の地主が柿を調達しようとしてやって来ると、でかい山伏が柿泥棒をしているのに気付く。
地主は山伏と知っていたが、あれは犬だ!猿だ!いや・・・鳥が居るな。と見えないフリをした。
山伏は地主が来たと知り、何とかこの場を凌いで誤魔化そうとして、犬や猿・鳥のマネをした。
地主は最後には「鳥なら翼を広げ空を飛ぶだろう」と言った。
迷ったあげく山伏は柿の木から飛び降りたが、腰を痛め地主にムカついたので看病しろと言った。
地主は山伏たる者が柿を盗んで、高い所から飛び降りて怪我などするものか?と言ったら
山伏は「看病しないなら山伏のギョウリキで痛い目にあわせてやるぞ」と脅した。
そんなもん嘘だろうと地主が言うと、山伏が後悔するなよとギョウリキで地主を引っくり返した。
地主は山伏が普通に立ち術を使用している様を見て「お前本当に腰を痛めてるのか?」という話。
能 東北


全体的な感想
こちらの最後の能は開演時間が長く、言葉が古風すぎて内容がよく解らなかった。
笛の音や能面を付け舞っている様子が、黒川能と似ている能だなと感じた。
8月20日に行っていた昔の例祭は、能3番と狂言2番から能2番と狂言1番が上演奉納されている
ようだが、今回は狂言2番だったから内容はそのつど変わるものなのだろうと思った。
松山能の演目
松山能での能演目内容は以下の表の通りである。
能面や謡本(正徳、元禄、宝暦、文政、天保年間のもの)もいくつか残されている。
能(合計24曲) |
高砂 | 竹生島 | 弓八幡 | 猩々 | 小鍛冶 | 羽衣 | 烏帽子折 | 鞍馬天狗 |
橋弁慶 | 船弁慶 | 大江山 | 養老 | 羅生門 | 安達原 | 道成寺 | 紅葉狩 |
土蜘蛛 | 安宅 | 箙 | 田村 | 鉢木 | 夜討曾我 | 杜若 | 敦盛 |
狂言(合計13曲) |
末廣 | 附子 | 瓜盗人 | 空腕 | 針立雷 | 狐塚 | 鬼清水 | 舎弟 |
三本柱 | 張鞘 | 名取川 | 釣女 | 千鳥 | - | - | - |
1月のまつやま大寒能は松山文化伝承館で行われ、6月の松山城薪能は松山歴史公園(特設会場)
で行われ、8月の皇大神社奉納は蔵小路皇大神社(能楽堂)で行われます。
8月の上演奉納祭は無料で見れますが、他は入場券が2千円ぐらいの値段。
蔵小路皇大神社は周囲に駐車場らしき場所が無く、細い道路幅である。路肩に車を止めたり
他に駐車して歩いて神社へ行く方が大部分であった。蔵小路皇大神社の正確な場所は
ヤフー地図で位置を示しておきました。
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