最上氏の最南端の支城『羽州の名城』、上山城

▲上山城(かみのやま、別名・
月岡城)
- ・場所:山形県上山市元城内 3-7
- ・行き方:かみのやま温泉駅から徒歩で約15分。
- ・駐車場:上山城・月岡神社前に約20~30台駐車可(無料)
- ・上山市の名物・特産品:サクランボ、玉こんにゃく、ラ・フランス、干し柿、まんじゅう、ワイン
- ・宿泊先:上山市格安宿泊ホテル旅館

多くの歴史を残す名城
上山城は武永義忠が、高楯城の小簗川氏を
滅ぼしそこに居城したが、ふびんな地形に
思ったのか月岡・天神森に天文4年(1535年)
に上山城を築きました。月岡に築かれたため
別名・月岡城とも呼ばれています。
月岡・天神森にそびえる城郭は『羽州の名城』として広く伝わった。
▲画像クリックで拡大表示可能
武永義忠の後は里見氏や坂氏らが城主となり、改易により最上家滅亡後は松平(能見)氏
蒲生氏、土岐氏が入部した。

最上・上杉家の攻防の舞台になったお城
天正2年(1574年)に、上山満兼が伊達氏と
中山・川口で戦ったり、
山形城(霞城公園)の
城主
最上義光の内応により里見民部が城代に
なったり、伊達政宗や上杉軍と争ったりと
多くの歴史を残している。
最上家改易後は歴代の藩主が居城したが
元禄5年(1692年)に土岐氏は転封され
上山城は、幕命により城は取り壊されました。
▲上山城の北側


▲上山城に瓦にあった家紋 ▲入り口上の金のシャチホコ
現在では堀跡や石垣が当時の物として存在している。現在の上山城は取り壊された後、
290年ぶりに再建されたもので、中は鉄筋コンクリートの作りでエレベーターが設置され
上山の文化や歴史を知る資料館になっています。
上山城の最上階からは、上山の風景を一望できす。殿様気分で回りをぐるりと見渡せます^^
上山城の中の展示品は、1Fは旅の僧月秀(げっしゅう)が鶴を見つけ鶴脛(つるはぎ)の湯を
発見した物を映像で見れたり、蔵王や上山のことに関するもの資料が展示されてました。
2・3Fは上山城の領主の歴史や古代の土器などが展示されていて、他には上山出身の力士
『出羽嶽文治郎』の銅像や手形などがありました。身長2m4cm、体重180kgの力士で関脇まで
昇進。手の大きさは、私よりさらに指の長さが約5cm大きかったです(@_@;) スゴッ!

▲画像クリックで拡大表示可能
元和8年(1622年)に最上家が改易(領土没収)になり、その後譜代大名の能見松平氏が領主と
なり上山藩を成立しました。そして蒲生氏(がもう)-土岐氏-金森氏-藤井松平氏と藩主が代わり
明治維新を迎え170年余りにわたり上山藩を治めた。
上山城西内堀跡と石垣

上山市指定史跡の堀跡
月岡神社と上山小学校の間、辺りには
上山市指定史跡の上山城西内堀がかすかに
残っています。
土岐氏の転封とともに幕命により上山城は壊され、堀や石垣のみが当時の名残を留めている。昔は本丸の南西の角から、北西の角まで水堀だったが、城の修復も認めらず明治初期には大部分の堀が埋められたそうです。
▲回りは金網で囲まれ落葉が散乱してた

上山城の石垣跡
御館坂から月岡神社方面への道路脇には、当時の石垣が残っています。こちらは看板などの説明書きもなくただ単に残ってるだけの状態でした。
草に覆われ徹底的に城を再構築できないように
壊されていったんだろうな・・・と眺めながら
しみじみと思った。
▲月岡神社の裏手の坂にある上山城の石垣
上山城の隣にある、月岡神社

▲月岡神社(つきおか)
お参りをするときに中を眺めて見たが、中は賽銭箱以外は天狗の面とかが飾られていました。
ここの地の氏神様として奉っている神社なのだろうか・・・
その左側にある建物は、おみくじや売店になっていました。あそこでこの神社を管理しているのだな

上山城跡に建てられた神社
天文4年(1535年)に武衛義忠が伊達氏から
高楯城を奪回した後に、ここ天神森に築城した分けだが、土岐氏の転封と共に上山城を
壊され、現在では月岡神社や石碑などが
残る場となっています。
月岡神社の石碑の裏には、上山城跡と
刻まれていました。
▲月岡神社は上山城の隣にある所です
斉藤茂吉の石碑以外、他の石碑は特に説明書きもなかったのでいったい何なのかは不明でした。
右下の招なんたらかんたらと刻まれた石碑は、よく目にしますがその場の慰めとか清めのために
置いてあるんだろうか・・・?まあ、記念碑の類ではないように感じますが。
上山城跡にある土岐氏の庭園と灯籠

▲土岐氏庭園
上山城周辺には元禄5年(1692年)に上山藩の土岐氏の二代目・土岐頼殷(よりたか)が
福井県に転封直後に、幕命により上山城は破却になったが、現在は小さいながらも庭園の一部が
残っています。灯籠(とうろう)と層塔(7重の塔ぽいオブジェクト)は、江戸中期の風格をもつ物で
『土岐灯籠』と名付けられた。この灯籠と層塔と近くにある『土岐桜』は、土岐氏の第19代にあたる
一族が、後世に語り伝えようと寄付された物だそうです。


▲土岐氏庭園 ▲土岐桜
庭園にある小さい井戸が気になったかな。土岐桜の方はまだ小さいもので、春には桜が花を
咲かせるだろうか・・・と疑問に思うサイズの物でした。


▲鐘楼(しょうろう)と梵鐘(ぼんしょう) ▲沢庵桜(たくあん)
土岐氏庭園の少し手前側には、梵鐘ならび鐘楼と沢庵桜がありました。こちらの桜の木の方も
まだ小ぶりな物で見事な桜を咲かすには何十年もかかるのだろうな・・・と思うサイズでした。
上山城周辺にある、月岡公園と足湯

上山城の北側には足湯と月岡公園が
上山城の北側には、足湯と月岡公園が設置されています。足湯は上山が、温泉地帯であることが伺えますね。
月岡公園の方は
斉藤茂吉の石碑とわらべ歌のような歌詞の石碑が置いてありました。
のんびり散歩して足湯でくつろぐ観光地に
なっているようです。
▲足湯は無料でご利用になれます


▲月岡公園南入り口 ▲月岡公園内の様子
歌人・斉藤茂吉もここから蔵王山の風景を眺め 「蔵王よりおほになだれし高原(たかはら)も
青みわたりて春ゆかむとす」 と一首残しています。
この公園から蔵王を眺めると、還暦を迎えた茂吉の蔵王を見た時の気持ちが伝わる所だった。

▲斉藤茂吉がここから見た蔵王山の風景
ここから茂吉が見た目線になって蔵王が眺めれるとは、歴史的な観光スポットですね~
斉藤茂吉は頬に流れる風を受けながら青い時期の蔵王の山々を見渡したのだろう。
上山城への行き方は国道458線から曲がるか、デパートの『カミン』沿いの道路の歓迎やぐら
から上ると行きやすいです。歓迎やぐらは見た感じ分かりやすいので発見しやすいが
国道458線から向かう場合は、青い看板を見落とさなければあっさり到着するでしょう。
その場合武家屋敷通りに入る前の角から曲がる分けだが、車道がせまいので注意を。
上山小の上にある小さい駐車場は、武家屋敷通りを見るための駐車場で車が4台ほど駐車
できるスペースになっています。上山城をせっかく見に来たのなら、堀跡と武家屋敷通りなら
徒歩で5分もかからない位置にあるので散歩して見て行った方がいいかも。
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