遊佐町の杉沢に伝わる古い舞、杉沢比山

▲遊佐町の杉沢に伝わる
杉沢比山(すぎさわ ひやま)の大江山
- ・場所:山形県飽海郡遊佐町佐町杉沢の熊野神社
- ・期間:8月6日、15日、20日の三晩
- ・駐車場:杉沢分館や周囲に駐車できそうな所
- ・遊佐町の名物・特産品:遊佐米、鱈汁、鳥海の塩、竹炭、庄内柿、かきもち、山菜
- ・宿泊先:遊佐町宿泊ホテル旅館

鎌倉時代から伝わる杉沢比山
遊佐町の杉沢には杉沢比山という古い舞が
ある。能と舞楽を足したような舞だった。
はっきりとした記録は残ってないが鎌倉時代
を下るまいと推定されているそうだ。
その古い舞は、いつからか鳥海修験修徒が
衰微してゆき、その修験修徒から
村人の手へ受け継がれたと推測されている。
▲熊野神社と特設ステージ
番楽と熊野神社について
山伏が行っていた神楽を番楽と呼び、山伏神楽とも呼ぶ地方もある。
これらの古風な舞は猿楽、呪師、幸若舞、田楽などが結び付いた独自の舞なのだそうだ。
舞台は村の鎮守である熊野神社で、この神社は鳥海山二之王子熊野大権現と呼ばれ
鳥海修験順峰修徒入峰の二之宿だった。
杉沢比山について
杉沢比山の”比山”とは、未だ言葉の意味は解明されておらず、鳥海山を月山に対して
日山と見立てた時代があり、その日山(鳥海山)に伝わる番楽という意味で、日山から比山
と称したのではなかろうかという説をはじめ種々あるようだ。
このユニークでな美しい型と、水ぎわ立った鮮やかな舞い振りは、芸術的価値が高いと評価され
昭和53年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

曲目について
毎年8月6日「仕組」、15日「本舞」、20日「神送り」と三晩行われる。昔は曲目が24曲あったが
現在では14曲となっている。それでも全部舞うと
時間が4時間程かかる長い舞なのだとか。
そんでもって今回は8月6日に行われた仕組を
眺めてきた。基本的な舞はどれも一緒だった。
初日だけで2,3時間ぐらい舞でした。
この長い全曲の舞いこなすには、数年の歳月が費やしたと言われいる。
そのため「ヘソの穴から比山から見たものでなければ覚えられない」という言い伝えがある。
一体どういう意味なのだろうか・・・。要は体で覚えろ!ということなのだろうか・・・?
曲目 |
1.番楽 | 2.みかぐら | 3.おきな | 4.三番叟 |
5.景政 | 6.蕨折り | 7.曽我 | 8.鳥舞 |
9.景清 | 10.橋引 | 11.大江山 | 12.しのぶ |
13.高時 | 14.猩々 | - | - |
▲現在行われている14曲の曲目名
番楽
番楽は曲目の初めに行われ、舞台鎮めとして舞われるもの。白い面を付けた一人舞で
岩屋にこもって番楽を舞うことは、本当にめでたいという祝いの舞なのだそうだ。
能や舞楽などを眺めても、最初は舞台を清める舞を行う所はありますね。


▲ドサ(木こり) ▲娘と船頭
蕨折り
これは舞楽というよりは、能でいう狂言のような舞であった。蕨(ワラビ)を食べたいという両親の
願いで娘が山に入ると、増水した川があり渡れなかったが、老いた船頭の妻になる約束で
渡してもらう。娘は一日暇をもらい、船頭が一人でいるとドサ(木こり)が来て、娘は亡くなったと
嘘を言った。船頭はがっかりして川に身を投げ、木こりは娘をさらう話の内容。
大江山
源頼光と渡辺綱の大江山の鬼退治の内容。花園中納言の一人娘に合い鬼の話を聞き
様子を見てた茨木童子という鬼が襲ってきて退治する舞。
猩々
猩々(しょうじょう)とは酒を好む中国の想像上の動物で、顔は人間の顔をしていて体は全身赤い毛
で覆われている動物。この猩々はいくら酒を飲ませても酔わず、最後は刀を口にくわえながら
逆立ちをするという内容でした。舞っている方は割りと長身な方で、あれを本番で決めるとは
大した方ですね。印象的だったのは、舞を終えた方が心配してか影でその光景を眺める様子かな。
どうやらあの方は、良い友を持ったのだなと悟りその場を去った。
杉沢熊野神社への行き方は、国道345号から県道373号へ進むと行きやすかった。
県道373号を登り道で、それほど道路幅も広くはない山道だった。
他には熊野神社から遊佐高を繋ぐ一般道もあったが、実際に通過しなかったら状況が分からない。
杉沢熊野神社の周囲は田んぼや民家で、駐車場らしき場所が見当たらなかった。
なのでほとんどの方は、杉沢比山伝承館の駐車場や路肩に駐車していた。
杉沢比山伝承館は、随時時間通り公開しているというよりは、最寄の職員に開けてもらうように
要請しないと開いていない所みたいな事が、看板に書いてあった。
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