五百年余りの歴史がある黒川能

▲鶴岡市黒川に伝わる、国指定重要無形民俗文化財の
黒川能の様子

古くから伝わり山形に存在する能
山形県鶴岡市黒川(旧・櫛引町)には
五百年の伝統を受け継いだ黒川能がある。
山形県内外で公演はたまに行われているが
フランス・パリで開かれた芸術祭にも招かれ
公演し、日本の文化の素晴しさを能で伝え
連日満席の大喝采を浴びたようだ。
その伝統ある黒川能をご紹介して進ぜよう。
▲上座の大般若


鶴岡市黒川に鎮座する春日神社
黒川能の歴史
- 黒川能は、鶴岡市黒川にある807年に創建された春日神社に伝わる神事能である。
黒川能の始まりについては、定説は無い。未だ究明は無いがいくつかの説は存在する。
まずは平安時代初期の859~877年頃に、清和天皇が黒川に足をとどめ、里人に能を伝えた説。
もう一つは、南北朝時代末期の1394~1427年に後小松天皇(ごこまつ)の第三皇子小川宮が
黒川能を伝え、この地に没せられたという説がある。
そして現在も春日神社を信仰している黒川の氏子(農民)達の手により伝えられ
氏子はそのまま能役者になり、黒川で伝承され続けられています。
黒川能の流派について
黒川能の流派は、現在の五流(観世・宝生・金春・金剛・喜多)と同系であるが
観阿弥・世阿弥が大成した猿楽能の流れを汲んでいて、いずれの流派にも属さない
独自の流派であり、現在では滅びてしまった演目や演式などに古い様式を残したものだ。
黒川能では他の能には見られない両腕を広げ、両手の人差し指を指す独特の構えをとり
能を行うが、あれも能が発祥したころの古態の形で、能以前の古い芸能の名残が伝わっている
のではないだろうかと言われている。
いずれにしてもハッキリとした定説がある訳でもないのが現状だ。
黒川能はどのようにして保護されたか
五百年という長い年月の間、どのようにして黒川能は絶えず伝承され続けられてきたのか調べた。
それは
林家舞楽に似ていて、古文書によれば13~16世紀頃の庄内領主は武藤(大宝寺)氏や
その後の
最上義光の時代の頃には大名により、保護されてきたのではなかろうかと思われる。
最上家改易後は庄内地方は酒井氏が封ぜられ、明治まで黒川能は多大な援助を受け発展してた。
さらに時代が経過し、明治維新・第二次大戦などの苦しい時代はあったが
黒川の住民により何とか伝承され続けられてきたようだ。
そして黒川能は昭和51年5月4日に、文部省により国の重要無形民俗文化財に指定されました。
黒川能の演能と年間行事を学ぶ

黒川能の年間行事を観察
春日神社のすぐ近くには黒川能の里 王祗会館(おうぎ)という、黒川能を学習できる施設がある。
ここでは黒川能の1年の行事の流れを映像で
見たり、能面の写真などが多くあった。
また別料金で、重要文化財に指定されている
数々の黒川能の衣を閲覧できるようだ。
映像で見られるやつが特に面白かった。
▲黒川能の里 王祗会館
- ・入場料金=一般・400円、小中高生・200円、高年者・障害者・300円
- ・鑑賞時間=9:00~16:30、利用時間=8:30~21:30、休刊日=毎月第一水曜日・年末年始
イベント名 | 日付 | 時間 | 場所 | 演能 |
春日神社・旧例祭(王祗祭) 奉仕 | 2/1 | 18:00 | 黒川能座中民家 | 大地踏、式三番、能五番 狂言四番 |
春日神社・旧例祭(王祗祭) 奉仕 | 2/2 | 9:00 | 春日神社の能舞台 | 能二番、大地踏、式三番、他 |
蝋燭能(ろうそく) 公演 | 2月第4 土曜日 | 12:00 | 春日神社の能舞台 | 能二番、狂言一番 |
春日神社・祈年祭 奉仕 | 3/23 | 10:00 | 春日神社の能舞台 | 能二番、狂言一番 |
春日神社・例大祭 奉仕 | 5/3 | 10:00 | 春日神社の能舞台 | 式三番、能二番、狂言一番 |
羽黒山・花祭り 奉納 | 7/15 | 10:00 | 羽黒山出羽三山神社 | 能二番、狂言一番 |
水焔の能(すいえん) 公演 | 7月最終 土曜日 | 18:00 | 総合運動公園野外舞台 | 能二番、狂言一番 |
荘内神社・例大祭 奉納 | 8/14 | 17:00 | 鶴岡市荘内神社 | 式三番、能二番、狂言一番 |
春日神社・新嘗祭 奉仕 | 11/23 | 10:00 | 春日神社の能舞台 | 能二番、狂言一番 |
▲年間定期、演能日程一覧表
王祗祭は民家で行われるため人数が制限されている。事前に申し込み用紙で出席希望書を送り
抽選で当たった方のみ入場が可能になります。希望申し込み方は公式サイトに記載されている。
この定期公演の他にも、依頼により山形県内外で黒川能の公演を行っています。
イベントは無料で見れる能もあれば、有料のものもあります。


うわー、すっげ~リアルだ!人形さながらでもこの賢覧豪華な衣と能面が良いですな
物産品展示販売コーナー
黒川能の里 王祗会館の中の売店の所には、黒川能の人形が売っていた。大きさは25cmぐらいで
値段は3千~1万円ぐらいの値段だった。高いやつで1万5千円ぐらいしたかと記憶している。
他にも提灯や本など色々とグッズは売っていたが、能人形の出来栄えの良さに人形ばかり
しばらく眺めていた。横に注文書ぽいのがあったから、能人形は取り寄せ購入なのかもしれない。


全部で15体ぐらいあったかな
水焔の能


水焔の能について
櫛引町の生活文化に照らし、稲と生命の源
である水と、文化の源である火と融合させて
能を通し故郷の豊かな稔りと健康を祈った
ものが水焔の能である。
そもそも能楽の発生は野外で行われてきた
ものであり、室内で演じられるようになった
のは明治以降のことである。
▲水辺の上に造られた能舞台
薪能とは?
- 黒川能が野外で能を演じたのは、この水焔の能が初めてであり薪能(たきぎのう)である。
薪能とは、平安中期頃の奈良興福寺西金堂の修二会を母体として生まれたもので
薪を奉納する神事が発祥である。薪の神事が芸能化し、室町時代に薪能と呼ばれるようになった。
室町から明治の頃まで、招福息災や迎春の行事として続けられてきたものである。

はじめに大神の許しを受け能を開始する
前述した通り、黒川能は神事であり最初に能を
行うにあたり、春日神社や氏神などの大神の許しを受けなくてはならない。それで神主が祈祷して
から能を行うことになる。
これは古い舞楽にしてもそうだが、最初に舞を
披露する前に、魔を払ったり場を清める舞を
初めに行ったりするものなのである。
▲能舞台の上で祈祷する神主
ご祈祷が終わると主催者の挨拶などが行われ、薪に火を付けその後能が行われました。
鶴岡市立櫛引東小学校では、能クラブがあり黒川能の伝統を引き継いでいるようだった。
それで最初にその小学校の方々が、舞囃子という演能式で演目を行っていた。
暗くなると薪の炎と能舞台の明かりで、舞っている様子が水辺に写り幻想的な舞に見えた也。
鶴岡市の黒川に行くには、国道112号から途中で曲がることになる。県道44号沿いに行くと
判り易いが、国道112号付近に黒川橋と王祗橋があるし、比較的黒川行きの看板が多いのと
周囲は田んぼばかりなので、それほど迷うような場所でもなかった。
駐車場は黒川能の里 王祗会館に広い駐車場がある(トイレ付き)。道路を挟んで手前にある
郷土文化保存伝習館という建物が側にあるが、あれは一般公開している建物では無いそうです。
春日神社へは下の鳥居のある階段を登らずとも、その伝習館から本堂の方へ行けるようだった。
水焔の能は付近にある総合運動公園で行われます。
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