
旅人の天晴れ『米沢市芳泉町の武家屋敷』の話

▲米沢市の芳泉町にある
武家屋敷とウコギの垣根の様子

上杉家の下級武士の屋敷が残る芳泉町
慶長5年(1600)の
長谷堂城合戦以降は
上杉家は会津120万石から米沢30万石に
減らされ、それ以後は米沢が上杉家の
本国となった。
減封されてしまったが、6千ほどいた家臣が
そのまま上杉家について来たので生活が
大変苦しいものになった。
▲ウコギの生垣


ウコギは大河ドラマ
天地人が決定してから、米沢のあちらこちらで販売されるようになった
直江兼続により配置された下級武士の原方衆
- そこで直江兼続は下級武士の原方衆を芳泉町に配置し、半士半農の生活をしていくことを教え
芳泉町へ住まわせた。米沢の城下町は洪水による被害があったので、もし大雨で洪水にあっても
迅速に対応できるようにと原方衆をこの位置に配置したのだ。
そして直江兼続が初めて米沢へ持ってきたウコギを庭に植えさせた。これは洪水対策と敵の侵入を
防ぐ役割を果たしている。ウコギには鋭いトゲがあるため、無理に進入できないよう生垣にしている。
その武家屋敷とウコギの生垣が、米沢の芳泉町には現在も米沢に残っているのだ。
そしてカテモノ(食用植物)として推奨したのが、上杉鷹山公です。ウコギにはビタミンが多く
春先の新芽の部分を天ぷらなどにして食べるようです。

アッ!あの看板は・・・
この芳泉町には案内板とか何も無かったので
天地人の観光者が訪れてはこの地の内容を聞いてくるものだから、さすがに何度も質問されては
面倒だと感じたのか、保存会の会員の大工が
案内板を建てたそうな。
大河ドラマが始まると、この辺りは人で込み合う
のかな。だから私は混む前に訪れたのだ。
▲大工が建てたという説明の看板


▲画像クリックで拡大表示可能 ▲看板前の武家屋敷
現在も住人が住んでいるようだ
看板の内容からすると、この歴史的なウコギの生垣はこれからも続けていく意思が書いてあった。
武家屋敷に関しては
上山藩武家屋敷や
楢下宿の橋本屋に似た建物であった。
武家屋敷の所には車が止めてあったので、現在も住居として使用されているようだ。
つまり勝手に庭に入ったり、ウコギをもいでみたり玄関前をウロチョロしない方が良いだろう~
武家屋敷はからぶき屋根とかの維持が面倒だと聞く。昔の木造建築のため冬には隙間から
冷風が入ってきそうですね・・・。あこがれだけで住めるほど、案外良い物では無いんだろうな~
その昔、楢下宿でからぶき屋根の手入れをしているのを実際見たことがあるが、あのからぶき屋根はワラを外すと、木の屋根になっていてワラを瓦のように置いていって、あんな感じになっている。
結局は数件ほど武家屋敷が建っている感じであった。奥の方にも武家屋敷ぽいのがあったが
どうも廃墟化しているようにも見えるんだよな。あとこの辺の周囲に武家屋敷を見るための
駐車場が用意されていないのがアレか・・・。
近くには
直江石堤と
龍師火帝の碑があるから、ついでに見ていくと良いかもね。
場所・地図:
山形県米沢市大字芳泉町周辺の地図 - Yahoo!地図
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