藩政時代を偲ばせる中山神社祭典の武者行列

▲酒田市の松山城大手門と
中山神社祭典武者行列の様子
- ・開催期間:5月1日 13:00から出発
- ・場所:中山神社から各順路へ巡る
- ・駐車場:松山文化伝承館や中山神社辺りに有り(無料)
- ・酒田市の名物・特産品:庄内米、ただちゃ豆、庄内柿、酒、どんがら汁
- ・宿泊先:酒田市格安宿泊ホテル旅館

酒田市の無形民俗文化財の武者行列
5月1日に行われる中山神社祭典武者行列は、午後1時に中山神社から出発します。
同日の午前中は
松山藩荻野流砲術の
演武が里仁館のグランドで行われている。
この武者行列は、約2,3時間かけて町内を
1周し再び中山神社へ戻ります。午前中は
幼稚園児による山車が町内を周っていた。
▲中山神社の入口の石鳥居
中山神社祭典武者行列の起源について
- この中山神社の武者行列は、何時頃から始まったのか明確な記録がないそうだが
宝暦7年(1757年)に中山祭礼のため片町から『奴(やっこ)を出した起源』という記録があり
その頃から始まったのではないかと推測されている。奴(やっこ)とは武家などの家来のこと。
中山神社は徳川家康の嫡男・松平三郎信康と、酒井忠次(ただつぐ)を祀るために創始した神社。
それで武者行列が行われるようになったのは、祭典の時には神輿を担いで市内を周るので
その警護をするために武者行列がついて歩くようになったと伝わっている。


神輿(みこし)は2つ置いてあったが、武者行列では左の方を引っ張っていた。

総勢120名による武者行列
この武者行列はほとんど子供ばかり見かけるが
人数の割振りは地元の中学生70人、体験武者
10人、祭典委員と他合わせて40人の構成で
成り立っている。
山鹿流(やまがりゅう)の太鼓と、法螺貝の音に
合わせ「エイ!エイ!エイ!」と言いながら歩くのがルールのようだ。
最初はみんな主語や、威勢の良い掛け声で町中を巡っていたが、後半になると疲れと暑さにより
みんな汗を流しながら辛そうに歩いていたのが印象的だった。
長袖の上に鎧兜を見に付け、さらに4kmの道のりを3時間歩く分けだから見た目以上に辛いのだ。
特に何かを持たされている係りは辛いだろうな。後半はみんな「暑いのぅ」を連発してた。

装備している鎧兜を観察
近くで鎧を観察してみたが、そのほとんどが
筋兜に最上胴丸の格好でした。
背中には酒井分家(松山)の旗指を指し
腰には小太刀の装備であった。
しかし前立物を観察すると、それぞれ色んな形があり面白いものだ。また馬にも装飾するほど念の入れようであった。
▲星兜に鍬形と酒井家の立物


あの金箔の鎧は、もしや徳川家康のだろうか・・・

昔から何ら変わらぬ規模と順路
この武者行列だが、明治の『御行列並帳』の資料によると総人数120人と、順路はほとんど変わらないのだそうだ。
明治維新後に町方の手で受け継がれ
現在も地域の住民により伝統的に引き継がれて
いるものだ。それで昭和61年に松山町の無形民俗文化財に指定されたようだ。
▲松山城大手門前が写真スポットになってるな

▲画像クリックで地図拡大表示可能
中山神社から出発⇒新屋敷→松山城大手門→内町→仲町→南町→元新屋敷→南新屋敷→
下荒町→荒町→本町→新町→方町南→片町北→北町→新屋敷⇒中山神社へ帰還。
と、まぁおよそ4kmの道のりを3時間ほどで周る。実際には道の途中で休憩も挟むため
もう少し時間が掛かったと思う。
午後1時になると中山神社から出発するが、正確にはその神社の近くにある中山体育館で鎧兜に
着替えてから中山神社へ行っているようだ。なので中山神社を通過するようにして出発してた。
多くの観光者は、松山城大手門で見物する方がほとんどでした。
順路地図を眺めうまく通りを抜けると、先回りをしてシャッターチャンスを狙うことが可能です。
駐車場に関しては現地ではほぼ無い状況なので、松山城跡にある伝承館の人に聞いたら
裏にある伝承館の場所とか、中山神社から少し登った所にあるスペースに駐車しても良いと
言ってました。中山神社祭典が始まってからでは、通行の邪魔になるので十分考えたいものだ。
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