山形観光旅行記

旅人の天晴れ『前田慶次道中日記』の話


前田慶次道中日記
前田慶次道中日記

前田慶次郎の旅地図
前田慶次道中日記とは?
前田慶次道中日記とは慶次は、慶次が京都から米沢まで旅したときの日記をつづり
短歌や漢詩などが書いてある道中日記です。

ところどころ虫食いなどもあり、完璧な再現にはいたらないが、原本が今も山形県の米沢市にある私立米沢図書館では残っている。
     ▲京から米沢まで旅したときの地図

そしてこれはそれを複写したものであり、第3部復刻版として販売されたものである。
発行数に限りがあるため、入手困難であったが無事に購入できました。
それでそこに書いてあった有名な前田慶次のエピソードではあるが、いくつかご紹介しよう。

前田利家
前田利家を水風呂に入れて出奔
前田慶次は口うるさい祖父の利家から出奔しようとして、利家に「これまでは心配かけてしまい
心を入れ替えようと真面目に生きるもつりだ。
それで粗茶を一服もてなしたいから
自宅に来てくれ」と申し入れた。

利家は慶次が改心したと喜び、慶次の家へ尋ねると慶次は「今日の外は寒かったから、茶の前にお風呂はどうか?」と利家に進めた。

利家はそれは何よりのご馳走だと言い、承諾し慶次と風呂場へ向かった。利家が衣を脱いでると先に風呂場へ行った慶次が「熱くもぬるいくもない、丁度良い湯加減だ」と言いその場を去った。

利家がそれを聞き湯船にザブンと入ると
氷のような冷水で、しかも窓の隙間からは
寒い風が吹き込み、温厚な利家も怒り
「慶次を逃がすな!」と大声で供侍へどなったが
慶次は、愛馬・松風へ乗って無事に国を去った。
                                ▲石川県の金沢城跡にある前田利家の像

馬から自分の名を京へ広める
慶次の自慢の馬である松風を、慶次の召使に毎日馬を引かせたり、川で洗わせたりしていた。
見事な馬に行きかう人は必ず振り向いたそうだ。そこに前田慶次は考え、松風に烏帽子や赤衣を
見に付けさせ、その頃流行っていた「幸若」を召使に歌わせた。

これでさらに行きかう人は足を止め「この見事な馬は誰の馬か?」と尋ねられると
「この鹿毛と申すは、赤いちょっかい革袴、茨がくれの鉄冑、鶏のとさか立烏帽子前田慶次の
馬にて候」と、歌い舞った。こうして『前田慶次の馬にて候』と京の都で慶次の名が知れ渡った。

脇指をもって入浴
前田慶次は毎日夕方になると風呂屋で入浴していたが、大名屋敷からは家来がやって来て
戦場の自慢話に花を咲かせるものだから、慶次はこの連中にイタズラをしたくなり仕掛けた。
ある時、慶次は脇指を持って湯船へ入るようになった。通常は刀は錆びるため、風呂の中へは
持ち込まないが、得たいの知れない奴が脇指を持って風呂に入ってきたのだから
もし斬られたらたまらんとばかりに、慌てて刀を取り風呂へ入った。

慶次が流し場で刀を抜くと、連中らは湯船から出て刀を抜いた。慶次は顔色一つ変えず
抜いた刀で足の裏の垢をゴリゴリとこすった。よくみると刀は竹光で、連中らはそれを見て怒るにも
怒れず、互いに目を合わせるだけであったそうな。

前田慶次道中日記前田慶次道中日記

大根で自分をアピール
京へ上京していた上杉景勝直江兼続は、旅をしていた前田慶次と出会い上杉家で勤めることに
なった。そして会津で上杉景勝とお目通りすることになったとき、慶次は頭を剃り法鉢となり
黒の長袖を着用し「穀蔵院瓢戸斎」と名乗り登場したそうな。

お土産を持ってくると、盆の上に土大根を三本乗せ差し出した。
「私めはこの大根のように、見かけはむさ苦しいが、噛めば噛むほど慈味がでてきます」
と言い、少しもニコリともしないで言ったそうだ。

阿弥陀様の心を表す
前田慶次の家来には、仏教の信じる心が強すぎて至ると所で「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える
クセがあった。その家来は吾助と言い、仕事はまじめだし文句すら言わないが、この念仏ばかり
唱えるのは我慢がならんと思う慶次は、ただ叱りつけるのでは能がないと思い考えた。

ある時、慶次は特に用もないのに「吾助」と呼ぶようになった。吾助が呼ばれて来ると
「何か御用ですか?」と聞いたが、慶次は「いや別に用はない」と答えた。
しかしそれでも何度も「吾助」、「吾助」と呼び、やはり用はないと答えるだけであった。
吾助もさすがに嫌気がさしたのか「旦那様お願いがございます。別に用もないのに私の名を
呼ぶのをやめてほしい」と言った。

すると慶次はお前に聞かせることがあると言い「お前は仏を信じ念仏をよく唱えるが
よく考えてみろ。四六時中、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言われたら阿弥陀様も
返事しきれないだろう。阿弥陀様に対しそうやって迷惑をかけていることをよく考えろ」
と言い吾助を悟したそうだな。

堂森善光寺の供養塔慶次清水

ハナゲに黄金水をぶっかける!
城下では無頼漢が時々現れては、喧嘩を吹っかけては酒代をゆすっていた。
その男は鼻毛を伸ばしていたから、あだ名はハナゲと呼ばれ嫌われ者であった。
ある時、慶次が町でハナゲを見かけると慶次は「人の鼻毛が必要だから売ってくれぬか?」
とハナゲに言った。そちの鼻毛は立派だから、それを売ってくれと慶次は言うのだ。

ハナゲは何に使うのか知らんが、お金になるならばと思い承諾した。慶次はハナゲの側で鼻毛を
眺めると「惜しいことに、まだ短いから一ヶ月後に斬りたい」と言い、前金を渡し来月に堂森の自宅
へ来たら、もう半分お金をやると言い去った。一ヵ月後、ハナゲが慶次の自宅へ尋ねると
慶次は伸びた鼻毛を眺めると「惜しいがもう少し伸ばしたい」と言い、肥料を与えたいと言った。

少しの辛抱だから我慢しろと言い、庭へムシロを敷いてハナゲを仰向けにして、慶次の家来達が
ハナゲの手足を押え付け、便所から持ってきた大きなヒシャクで黄金水を汲み、ハナゲの顔に
ぶっかけた!慶次は「少し臭いが肥料だから、我慢すれば金になる」と言いジャバジャバかけた。
ハナゲはその内苦しくなり「助けて!」と叫ぶようになり、慶次は十分肥料が利いたと思い家来へ
放してやるように言った。

家来がハナゲを開放すると、慶次は「町人や商人をいじめて困らせるので薬をやった」と言い
これからまた弱い者をいじめるのであれば、その時は首が飛ぶと思えと悟した。
ハナゲはもう二度としませんと言い誓うと、慶次は苦労賃だと言い残りのお金を渡したという。

当時の時代からして考えると、黄金に光る水などある分けないだろうから
たぶん黄金水=糞尿を混ぜた肥溜めことを指しているのだと思う。



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