林家に伝承され現在も残る舞楽、林家舞楽

▲5月5日に慈恩寺(じおんじ)で行われた慈恩寺舞楽である
林家舞楽
- ・開催期間:毎年5月5日(入場無料)
- ・場所:寒河江市の慈恩寺の本堂前
- ・駐車場:慈恩寺の近くに有り(無料)
- ・寒河江市の名物・特産品:サクランボ、玉こんにゃく、バラ、コンビーフ
- ・宿泊先:寒河江市格安宿泊ホテル

林家舞楽とは?
林家に伝わる舞楽由緒によれば、摂津国の
四天王寺の楽人である林越前政照が
貞観2年(860年)に、慈覚大師円仁に従い
山寺立石寺に来住し根本中堂で奉納として
舞ったのが始まりと伝わる。
その舞楽の源流は、中国・朝鮮から大和朝廷に伝えられた外来文化の一つのようだ。
▲本山慈恩寺本堂
日本では宮廷の行事や、寺の法会・神事、皇族や上級貴族の祝宴的なことで行われ、各地方の
文化として引き継がれてきたようである。林家舞楽は山寺立石寺に住み舞っていたが
その後年代は不明であるが、寒河江市の慈恩寺に移り、谷地に移ったようだ。
よって現在でも寒河江市の慈恩寺と河北町の谷地八幡宮では、林家舞楽が毎年行われている。
その古くは山形の各地で舞楽は行われていた
現在の山形では林家舞楽は国の重要無形文化財として、1200年の伝統を保護されているが
その昔は、置賜地方の米沢市・成島八幡神社、南陽市・熊野大社、高畠町・安久津神社、
庄内地方の遊佐町・大物忌神社吹浦口の宮・蕨岡口の宮、平田町・新山神社、羽黒町・高寺雷電
神社などでも舞楽が行われていた。そして現在では、慈恩寺と谷地八幡宮にだけ残った。

何で慈恩寺と谷地八幡宮だけに残ってるのよ?
- 1200年という長い年月にもなると、地方の状況も変わり資金の都合上維持できなかった。舞楽奉納の費用負担を記録した『舞童帳』によれば、田畑を売却して
維持をはかっていた。そして慈恩寺に残ったのは
摂関家藤原氏や、寒河江領主の大江氏や最上家の祈願寺として使われていたので、領主や大名による
保護が支えになったと思われる。
最上義光にしても山寺の根本中堂や、慈恩寺の
三重の塔にしても手厚い修復を施すなど
仏に対する宗教心が強かったため、それで何らかの大名による保護を受け慈恩寺と谷地八幡宮に
現在でも残ったのではないかと思われる。
▲慈恩寺・三重の塔
最初に林家舞楽が始まる前に、寒河江市内を巡ったのち慈恩寺本堂へ何人か坊さんが帰還し
お参りをし本堂の中へ入っていった。そして開演時間になると、先ほど中へ入った人や他にも
袈裟を着た方がステージに上がり、歌を唄いました。
林家舞楽の舞

江戸時代の頃までは、15、16番のレパートリーが伝承されていたそうなのだが、現在では
燕歩、三台、散手、太平楽、安摩、二ノ舞、還城楽、抜頭、陵王、納蘇利が舞われているようだ。
この日観光したときには、還城楽と抜頭を抜いたスケジュールで舞っていました。


▲燕歩(えんぶ)
最初に行われる舞で、悪魔調伏の舞いである。同じ人が最初に舞い終わったかと思ったら
また出てきて舞うのは、始めの舞は天神を供し地祇に祈ったもので、最後は先霊を祭ったもの。
本来は二人で舞うものらしいが、一人で二役を行っているようだ。


▲三台(さんだい)
唐の時代にあった小説・遊仙窟(ゆうせんくつ)の、神仙の世界のつや事を舞いにしたもの。
蛮絵装束の一人舞いだが、現在では林家だけに伝わる舞いだそうな。
曲は女帝則天武后の作と伝わる。


▲散手(さんじゅ)
竜甲をかぶり太刀を腰に治め、手には鉾をもって舞う踊り。猿田彦神や神功皇后の三韓討伐の説
もあるが、林邑八楽の一つで、釈尊が降臨された時に獅子くつ王が作曲したと伝わり
戦で将兵を指揮した姿を舞にしたものとも伝えられているようだ。
これは
山寺山王祭・日枝神社例大祭に居たのと似ていますね。鉾を持って勇ましい武将を表したもののようである。山寺から移ったから似ていて当然か~

▲太平楽(たいへいらく)
最初は1人で舞ってたが後に4人で踊ってた。面は付けずに、中国風の鎧兜を見に付け舞う。
前半は太刀を治めたて舞うがあとから太刀を引き抜き舞ってました。
これが舞の中でもっとも長いものだった。登場して来るときも何か意味があるんだろうな~


▲安摩(あま)
案摩は抽象化された図案のような面で、紙に描いた蔵面(ぞうめん)を付け舞う物のようだ。
左右へ動いてはお辞儀をしているかのような舞であった。
その後舞われる二ノ舞とはセットになっている。


▲二ノ舞(にのまい)
笑面(えみめん=翁)と腫面(はれめん=媼・うば)。二ノ舞は前の踊りである安摩が上手に
舞ったあと、二ノ舞の翁が安摩を真似て舞おうとするが、上手に出来ずに滑稽な動きになるという
設定の舞のようだ。二ノ舞とは他人の成功 を真似て失敗することを語源としている。


▲陵王(りょうおう)
北斎の羅陵王長恭。戦場では恐ろしげな仮面をかぶり、美貌を隠していたという。
その勇姿をたたえた舞いで、華麗に動く走舞となっている。
短い時間でハードを動くためか、真っ直ぐに立っている時には、マスクの下でハァハァと息が
苦しそうで肩で息をしていました。


▲納蘇利(なそり)
納曾利とも呼び二人で行う走舞が多いが、一人で舞うこともあるようだ。
右手には桴(ばち)を持ち、銀色の目と牙を持った紺色、もしくは緑色の竜面を付け舞う踊り。
内容は、雌と雄の竜が楽しげに舞う様子を表現したものと伝わる。
全体的な印象
見ているときに周囲の人が決まって言うセリフは、異様な光景であり異様な物を眺めているようだ
と言われることが多い、それはあの面と独特の音楽からそれを感じさせるのであろう。
それと一体何をやっているのか意味が分からない。と周囲でよく話される。
確かに説明文的な物や、誰かが解説する訳でもないし、舞が始まるとそのまま終わりまで
舞うので、意味を知る手がかりがほしいところですかね。2008年度は残念ながら雨に酷く
やられたので、後半は雨が土砂降りの中で舞うという大変なものであった。
慈恩寺の場所はチェリーランドという、トルコ風の屋根をした広い観光物産館みたいな所があるが
そこから慈恩寺方面へ行くと分かりやすいかもしれない。慈恩寺大橋付近に来たら
上へ通っている道路へ合流する必要がある。その後すぐに慈恩寺大橋を通過し
そこから車で3~4分もすれば慈恩寺へ到着できます。
慈恩寺の駐車場は下から上へ登る道なりとなる。下か通過すると三重の塔、慈恩寺の仁王門を
そのまま通り過ぎ、さらに上へ登っていくと駐車場があります(トレイ付)。
駐車場から慈恩寺までの距離は歩いて1分ぐらい。
記事のコメント