山形の桜・千本斬り日記

山形の桜名所へ『置賜さくら回廊』の桜・花見


久保桜
置賜さくら回廊にある、伊佐沢の久保桜の花見

烏帽子山千本桜
置賜さくら回廊とは?
置賜さくら回廊とは山形県の置賜地区にある
南陽市の赤湯温泉~白鷹町の荒砥までを繋ぐ長井線沿い道路43kmの桜を花見できる
ルートのこと也。

最初の起点である烏帽子山公園から始まり
全部の桜を見回ろうとすると長時間を要するものである。今回は要所事に各地を観光した。
  ▲日本さくらの名所100選の烏帽子山千本桜

どうして置賜には、古い桜が多いのよ?
何故に置賜にはこのような古き桜の木が多いのかと言うと、その昔米沢市が貧乏だった頃に
借金が積もりお金で返却することができなくなったので、桜や松などといった木々で借金を
返していったという説を聞いたことがある。そしてその木々が現在も残ったというものらしい。

双松公園の眺陽桜・慶海桜


眺陽桜慶海桜
▲眺陽桜(ちょうよう)                  ▲慶海桜(けいかい)

南と東側にそびえ立つ2本の桜
南陽市の双松公園の高台にある樹齢150年余の2本の大木で、両方ともシダレザクラです。
南陽は古来より山の南、川の北は陽の気を集積する生気の満ちる地であり、南陽の高台から
この地を眺める、名木に対し眺陽桜と名付けた。

慶海桜の方は、その昔双松公園は慶海山と呼ばれ、宮内のシンボル的な存在にあった。
春になるともっとも美しく花を咲かせる桜であったから、慶海山にちなんで慶海桜と名付けた。
2本のサクラの位置が若干離れているため、置賜さくら回廊の序盤から少々疲れた・・・。

伊佐沢の久保桜


伊佐沢の桜久保桜
▲置賜さくら回廊 伊佐沢の久保桜

テレビでよく放送される知名度の高い桜
樹齢1200年のエドヒガンザクラ。高さ16m・太さ9m・枝張り北西22mの巨木で国指定天然記念物。
500年前の頃までは、枝が四反歩に広がっていたため、四反桜の名で親しまれていたようだ。
征夷大将軍の坂上田村麻呂と土地の豪族・久保氏との伝説が残る長井市の名木である。
戦国時代の頃に当地に住む伊達の家臣・桑島将監が、妻と子を亡くし供養のため植えたと伝わる。

伊佐沢の花見山形の桜

老年の桜になると幹の内部が空洞化し、根が生えず腐敗や風で折れたりするが、ピートモスと
粉炭を混ぜた物を幹内部へ詰め、根っこが生える状況を作り久保桜の回復を計っているようだ。

最上川堤防千本桜


桜の側の花々の写真最上川堤防千本桜
▲置賜さくら回廊 最上川堤防千本桜

横一列に植えられた桜
長井市の最上川に沿り横一列に植えられた桜。大正4年の大正天皇即位記念に植えられもので
2kmに渡り植えられたソメイヨシノは300本だそうな。千本桜や土手の桜として親しまれている。
名前からして千本の桜があるのかと思いきや、そうでもないんですね^^;手前の花々も綺麗でした。
赤川や馬見ヶ岬側に似た桜のタイプでした。時期的に置賜さくら回廊では早めに咲きやすいようだ。

花の写真

草岡の大明神桜


草岡の大明神桜大明神桜
▲置賜さくら回廊 草岡大明神桜

伊達政宗の伝説が残る桜
長井市にあるエドヒガン桜で高さ17.2m、幹回り10.91m、根回り11.1mの国指定天然記念物です。
今から400年前に、伊達政宗が鮎貝城の合戦へ初めて出陣した時に、敗戦しこの桜の洞に隠れ
難を逃れたという伝説があります。樹齢は1200年頃の桜らしく、伊佐沢の久保桜と比べると
縦に長い巨木であるという印象を感じました。どちらも甲乙付けがたい名木である。

白兎のしだれ桜


白兎のしだれ桜白兎シダレザクラ
▲置賜さくら回廊 白兎しだれ桜

神社とゆかりのある枝垂桜
長井市にある樹齢800年のシダレザクラ。江戸末期から明治初期の頃、現在の葉山神社の宮司が
敷地内に、その宮司の先祖の竹丸氏が白兎地区の全神社を合祀した際に、記念に植えたという
『日本三十三枝垂桜』の1つだそうな。見事な巨大なしだれ桜で、側にはその神社がありました。

花見桜の写真

釜の越桜


釜の越桜釜の越ザクラ
▲置賜さくら回廊 釜の越桜(かまのこし)

現在も残る八幡太郎義家の跡
白鷹町にある樹齢800年のエドヒガンです。この桜は町指定天然記念物に指定されています。
釜の越とは古い地名であり樹下に立つ三個の無名巨石には、この地の西方の山である三面峯に
八幡太郎義家が居陣した際に、この石でカマドを築き兵糧を炊いたという伝説がある地です。
確かに釜の越桜の周辺には、無骨な石が3個置かれていました。あれで炊事の支度をしたのか・・・

花見の写真置賜さくら回廊

薬師桜


薬師桜薬師ザクラ
▲置賜さくら回廊 薬師桜

薬師堂より大きい老木
高さ15m、太さ8mで樹齢1200のエドヒガンザクラです。白鷹町にあり県指定天然記念物です。
側にある薬師堂やこの桜の名前の由来は現在でも分かっておらず、現在では老衰化が進んだが
昔は広い面積に枝を張る見事な桜だったという。坂上田村麻呂が奥州討伐のときに
手植えしたものと伝わる名木である。

十二の桜


十二の桜種まき桜
▲置賜さくら回廊 十二の桜

一際目立つ縦に長い3本の長い桜
白鷹町にある樹齢400年のエドヒガン。十二の桜とは山際薬師堂建立との関連で、薬師如来を
信ずる者を守護する神である十二神堂が建てられ、そこに植えられた桜なのでそう呼ぶようだ。
通称『種まき桜』とも呼ばれ、老木の古株が残り現在では3代目が大木となっている。


山口奨学桜


山口奨学桜山口奨学桜
▲置賜さくら回廊 山口奨学桜(しょうがく)

教育と地域活性化で植えられた桜
この地はその昔、山口村小学校の跡地でその明治26年の時の小嶋校長が、子弟の教育向上と
充実を目的とし学校基本財産資金で奨学田をつくった。
そして明治44年10月に、小嶋奨学田碑を建立した際に植えたソメイヨシノの桜だそうだ。
樹齢88年のときに山口地区民教育のよりどころや、地域づくりの心として山口奨学桜と名付けた。

子守堂の桜


子守堂の桜子守堂サクラ
▲置賜さくら回廊 子守堂の桜

本庄家と子守との昔話が残る桜
白鷹町にある樹齢1020年のエドヒガンザクラ。高さ19m、幹回り7mの町指定天然記念物。
鮎貝城の3代・本庄義長の子は病弱で早い無くなっていたが、ある子守を雇ったら子供は元気に
成長した。ある時その子守は、この桜の木の根元に草履(ぞうり)を脱ぎ突然消えてしまい
その後城には戻らなかったという。人々は子守は地蔵に化身したと考え、お堂を建て祀ったそうだ。

八乙女種まき桜


八乙女種まき桜種蒔き桜
▲置賜さくら回廊 八乙女種まき桜

入口の鳥居で向かえる種蒔き桜
高さ20m、周囲4.45mで樹齢500年の白鷹町にあるエドヒガンザクラ。町指定天然記念物。
春の苗代の種蒔きの頃に花が咲くので種蒔き桜と呼ばれてきた桜。
八乙女八幡神社の創立のときに八幡太郎義家が、この丘に弓矢を立て奉り8人の乙女に舞楽を
奉させたと言われている地である。永年の頃に荒川次郎清泰城を築き、荒砥城跡として残る。

八乙女の像サクラの写真

称名寺阿弥陀堂の桜


称名寺阿弥陀堂の桜阿弥陀堂サクラ
▲置賜さくら回廊 称名寺阿弥陀堂の桜

寺のお墓にそびえ立つ桜
白鷹町のお寺の裏側にある樹齢330年頃の桜。樹高15m、幹周3.45m。お寺ではキリシタンの
資料などが残っているそうだ。最初訪れた時は、地図を見ると八乙女種まき桜からそう遠くはないが
いかんせん場所が分からず、同じ花見観光者と話したほどだ。八乙女種まき桜からグルリと回って
下に向かう道路へ回ったら到達できました。まさかお墓の真ん中にある桜だとは思わなかった。

原のしだれ桜


原のしだれ桜原のシダレザクラ
▲置賜さくら回廊 原のしだれ桜

急な斜面に生える傾いた枝垂桜
樹齢500年のエドヒガン系シダレザクラ。樹高28m、周囲5mの町指定天然記念物で白鷹町にある。
かなりの急斜面で不安定な場所にある桜で、最初パッと見たときは何じゃありゃ!と驚いた。
根元には小さい稲荷社が置かれていた。地震や強風などでよく折れたりしなかったものだな。
さすがにここまで置賜さくら回廊を回ると、日も暮れ太陽が沈んでいた・・・。ハァーすごく疲れた。

花見の写真花
原のしだれ桜から上の広場に咲いてた花

全体的な印象
朝早くから出発し、置賜さくら回廊をすべて回るつもりでいたが基本的に時間が足りなかった。
有名な桜の名所は回ったが、場所が分からなかったり日が暮れ見れなかったり、駐車場が無い
所もあったりと全部見るには長時間必要だった。

一応私はこれで6時間ちかくは掛かったかな。かすみ桜、御衣黄桜、赤坂の桜、殿入り桜が
見れなかった。殿入り桜に関しては、どこにも駐車場が無かったのだが、みんな勝手に路上駐車を
して見るのだろうか・・・?と疑問に感じるものだった。オススメは時間と体力的に考えると
烏帽子山公園から、薬師桜までのコースが見やすいと思った。


置賜さくら回廊の桜動画



▲置賜さくら回廊の桜の動画


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