奥羽街道の歴史ある宿場の面影を残す楢下宿

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楢下宿(ならげしゅく)の脇本陣滝沢屋
- ・場所:山形県上山市楢下字乗馬場1759-1(滝沢屋)
- ・開閉時間:午前9時~午後4時45分
- ・休館日:月曜日、12月28日~1月3日
- ・料金:大人200円、学生150円
- ・駐車場:滝沢屋、大黒屋、武田屋にある(無料)。大黒屋がもっともスペースが広い。
- ・上山市の名物・特産品:サクランボ、こんにゃく、ラ・フランス、干し柿、まんじゅう、ワイン
- ・宿泊先:上山市格安宿泊ホテル旅館

▲画像クリックで地図拡大表示可能
昔はコの字の形だった楢下宿周辺
滝沢屋以外は無料で中へ入れます。橋本屋、遠藤家、山田屋は、現在も人が住居しているようで
中へは入れないようだ。今あるの滝沢屋や大黒屋は、跡地の所から移築した建物である。
跡地の部分は今では何も残ってなく、普通の民家が建ち並んでいる。
昔の奥羽街道は『コ』の字型だったが、明治16年開通され現在では口の字になっている。
参勤交代の宿駅として利用された宿場
上山市の楢下は青森・久保田・山形の13藩の諸大名の参勤交代の宿駅として利用し
藩政時代には本陣・脇本陣・問屋・旅籠屋(はたごや)・茶屋など建ち並び賑わった。
楢下宿は出羽国に入り、初めて本陣を有する場所にあたる。


▲楢下宿の辺りの様子 ▲中心に流れる金山川
北は青森弘前の城下町まで達していた羽州街道
宿頭から宿頭にかけ新町・下町・横町・上町の4町からなるが、新町は宝暦7年(1757)の
大洪水で被害に合い、新たに割り出された町並みのようだ。
この宿場町では、主に上級武士や大名などの身分の高い者が利用していた。
楢下宿は近くにある難所の金山峠(かねやま)を越え、七ヶ宿に通じる羽州街道にあるので
よく利用され、当時は栄えていた宿場町である。
羽州街道の楢下宿・金山越は平成9年に、国指定文化財の史跡として登録されました。
滝沢屋


楢下宿の滝沢屋。左表側、右裏側

およそ250年、経過した歴史ある建物
楢下ではいくつか宿が残っていて無料で入れるが、滝沢屋だけ有料で入場する形になる。
中は資料館のように書状や、当時使用していた家具や道具類などが展示されていました。
この滝沢屋は現地での保存が困難になり
解体し、現在の地に移築した建物です。
平成7年には山形県の有形文化財に
指定されました。
▲画像クリックで拡大表示可能

▲特徴的な表の長い柱
中は広間型三間取の構成
丹野家は江戸時代には庄屋を務めた家柄で、滝沢屋と称し『滝沢諸白』という銘酒を造りの酒屋
でもあった。武士を対象とした宿であり、平入り、直家形式(すごや)の曲がり家の造りの建物。
入口の屋根に対し平行に組んである横の柱が特徴で、あれは一本の長い木で組んであるのだ。
滝沢屋の裏側にはトイレと小さな庭があり、ゲートボール場ぽいのがあった。よく耳を澄ますと川の
流れの音が聞こえるので、近くを眺めて見たら金山川が側で流れていた。


▲滝沢屋の裏庭 ▲金山川
大黒屋


市指定文化財 大黒屋
大黒屋は楢下の下町にあり、元滝沢屋の南に隣接する位置にある建物。中は割りと綺麗で
野口英世の生家を感じさせる印象だった。間口10.1m、奥行17.5mの屋根の形状もそのまま残り
部屋の仕切りなど古い形がよく保存されている。

▲新橋(しんばし)。通称・新町めがね橋
新町から下町に掛かるアーチ式石橋
大黒屋を出て庄内屋方面へ行こうとすると、金山川に掛けられ町の中心にある新橋が目に付く。
昔は木材仕様の橋だったため、洪水の度に橋が壊れ流されていたようだ。
現在の石造りの橋になったのは明治初期頃で、県令により三島通康が西洋の土木技術を
取り入れ造られた。当時の橋の製作資金は県からの補助金と、残りは地元の人が立替え
この橋を通行する人力車や荷車などから徴収していたという珍しい橋だそうな。
庄内屋


市指定文化財 庄内屋
庄内屋は新橋の近くにあり、庄内の藩主が常宿として利用されていたと言われる宿。
煙草盆や拝領品が今も残されており、藩候の宿札も残されているようだ。
庄内屋は楢下に残された家屋の中で、もっとも古く18世紀に建てられたと推測されている。


▲下囲炉裏 ▲旅籠屋
入口から奥の方には、ここの家屋だけ、下囲炉裏が設置されている。旅籠なども置かれていて
当時の様子を伺い知ることができる貴重な資料だな。
武田家


市指定文化財 武田家
旧武田家は新町の西側に位置する建物。この家は宝暦8年(1758)の屋敷割絵図には
旅籠屋であったことが記されていた。
中の畳などは、旧尾形家住宅に見られるような、下に藁や籾殻を敷いた昔の古い畳の仕様だった。
形も土間式の妻入り家に対し、上段の部分が鉤形に張り出した曲がり家となっている。


壁に掛けられたミノと座敷の様子
中の畳なんかを見ると、この家がもっとも古そうに見えますね。山田洋次監督のたそがれ清兵衛が
住んでた家を想い出すものだ。
楢下宿の周辺を探索


浄休寺(じょうきゅうじ)
明治16年に開通した道路脇には、浄休寺というお寺があったので眺めて見た。
入口の石階段は2つほどあり、本堂の横には巨大な大銀杏の木が立ってた。


▲市指定文化財 覗橋(のぞきばし) ▲画像クリックで拡大表示可能
こちらの覗橋も新橋に大変似ていて、石で造られている橋である。新橋の完成後の翌々年の
明治15年にかけられた橋だそうな。だから構造が似ているのも、うなずけるものだ。
右の看板は昔あった屋敷なども含め、記載されていた。現在地の部分が駐車場となっている。
この看板を眺めると、昔はずいぶん宿らしき跡が残っていたのだなと思える。


▲佐藤家(橋本屋) ▲山田屋(旧斉藤家)
こちらの建物の橋本屋は、新橋の側にある建物。現在は一般の方が住居しているので中には
入れません。前に屋根のワラを外し手入れをしている作業を見たことがあったが
古い家だとずいぶん手間がかかるものだと思った。古い物を維持するのは大変なんだろうな~
右の写真の山田屋は、市指定文化財に指定されています。外から見ると現在も人が住んでいる
ような雰囲気がした。なので入口が開いている訳でもなく、説明の看板すらないので見学できる
家とは違うのだと思った。印象としては市指定文化財とは言え、新しく感じる建物に見えた。
楢下宿への行き方は途中まで国道13号線を走り、少し手前で曲がると奥羽街道へ行きやすい。
奥羽街道は国道13号線の下に道路があるので、三本松や旧尾形家住宅方面から来ると
割かし到着しやすい気がする。楢下宿の周辺は道路の幅がせまいので、徐行で進むのが良い。
駐車場は大黒屋の隣にある所が広いのでそこを利用し、大黒屋~旧武田屋~覗橋まで1周し
駐車場へ戻り、車で滝沢屋へ行くのがベストだと思われる。トイレは駐車場の側にある。
旧武田屋と滝沢屋は、一見距離が近そうだが歩いて往復したら結構遠く感じたからだ。
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