第11代当主・最上義光が増築した平城、山形城(霞城公園)

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山形城、地元では霞城(かじょう)公園と呼ばれています
- ・場所:山形市霞城町
- ・行き方:山形駅から徒歩で約10分
- ・桜開花日:4月中旬~下旬頃
- ・駐車場:車は北門から入り、市営球場・県体育館付近に駐車場有(無料)
- ・山形市の名物・特産品:サクランボ、ぶとう、玉こんにゃく、こけし、米、紅花、鋳物
- ・宿泊先:山形市格安宿泊ホテル

山形城(霞城公園)案内図

お城の大きさは約70万坪
山形城は本丸・二の丸・三の丸で配置され
現在ではそのほとんどが失われており
復元や跡地を残すのみとなっている。
城が築かれたのは最上氏の祖『斯波兼頼』が山形に入部したころとされている。
その祖から第11代目の
最上義光により
お城が整備され約70万坪に及ぶ。
山形城(霞城公園)二の丸・東大手門

どうして山形城=霞城なのか?名前の由来
山形城が別名『霞城』と呼ばれるようになった
理由は、関ヶ原の合戦の頃に
直江兼続(上杉軍)が富神山の麓からお城を十日間見てたが
霞がかかって何も見えなかったことから『霞城』と呼ばれ、現在もそれが定着していて『
霞城公園』
と呼ばれている。
富神山の山頂から見た城(真中の平らな森辺り)
山形城の3つの特徴
一. お城の本丸より城下町の方が高く作られている
- これは普通のお城は、山城など本丸の天守閣となる部分は高い所に建てるのが普通だが
山形城は二の丸から三の丸の方が、本丸より高く作られているのだ。これは全国的に
見てもまれなお城である。
二. 三の丸の出入り口が11箇所ある
- 山形城の源氏の足利家の血をひく祖・斯波兼頼が、阿弥陀仏を拝んでいたので最上家は
多くのお寺を残している。故に仏の信仰心も強く出入り口を11箇所も作ったのは『吉』の
字を表し、縁起がよいものとして作られたようだ。最上義光も自分の署名のハンコにも
『七』の字を彫っている。
三. 都市全体がお城になっている
- お城と言えばたいがい城の周りは武家屋敷を配置するが、山形城は二の丸から三の丸の
間が圧倒的に広く235万m2ある。江戸城が230万m2の広さなので、山形城がいかに大きい
かが伺い知れる。三の丸内には武家屋敷だけでなく、商業やお寺なども組み入れている。
鍛冶屋などはなるべく外の方に配置され、火災発生により事故拡大を防ぐためなのか
馬見ヶ崎川の周辺に作られている。
霞城公園内は桜の名所でもあり、約1500本のソメイヨシノ・エドヒガンが咲きお花見スポットで
見所は夜になると桜がライトアップされ、優雅で幻想的な夜桜を見ることができます。
霞城公園の桜山形城本丸の一文字石垣


▲山形城(霞城公園)本丸の修復予想図 ▲正保城絵図
現在も修復工事は行われており、古い資料や写真をご所持の方を募集しているようです。
山形城は改易(没収)となったお城で、なかなか資料が見つからず作業が難儀しているようだ。
正保城絵図は正保元年(1644年~1648)に、幕府が諸藩に命じて領内の絵図を提出させた。
この絵図はそのときの物で正保城絵図とも呼ばれる。現在は63枚が保管されている。

復元された一文字石垣
現在はお城の歴史的価値を見直し、御殿や土塁・堀などを復元し、日本古来の伝統的建築様式で再整備を行っている。
平成8年では一文字石垣の発掘調査を行い
土中から櫓(やぐら)や枡形(ますがた)
橋の石垣が姿を現しました。
▲山形城(霞城公園)本丸内の一文字石垣
現在は工事中で柵がしかれ中に入れないが、お花見の時期になると一般公開され中に入れた。
ドッシリとした石垣だけでも、お城の雰囲気を味わえる物でした。お城早く完成しないかな~

東大手門の中には…
普段は東大手門の中には入れないが、お花見の季節になると、これもまた一般公開され中へ進入することができます(無料)。
中はそれほど広くはないが、敵に備えた構造であることが伺い知ることができす。
▲山形城(霞城公園)東大手門の中の二の丸

中は写真・映像と桜の展示品が
中は入ってすぐ横一列に堀の改築風景の写真が並べれていて、隅っこには霞城公園内の桜を使用して花を生けたような物もありました。
う~む、綺麗ですね。プロの方でもいけたのだろうか・・・横には誰かの作品名みたいなのが書いてあったけど。
▲綺麗な配置ですね!桜の生け花
山形城の東大手門の中は発掘して収集した瓦や一文字石垣の現物、当時の工事風景や進行状況
を記録した写真や映像で展示していました。あとミニュチュアの山形城がありました。
山形城 東大手門の値段について
国指定史跡にさている山形城(霞城公園)の三の丸跡


山交ビル角バス停の所にある三の丸跡
霞城公園から出て山形駅付近にある、山交ビル近くの山交ビル角のバス停裏側には未だ当時の
まま城の三の丸の跡が残っている。山形城の特徴の一つの広い三の丸跡は、他でも数箇所
確認できる場所があります。

吉の字の画数に合わせた作られた三の丸
城は本丸・二の丸・三の丸を有する平城で
その規模は東西1480m、南北1881mに及ぶ。
歌懸稲荷神社(うたかけ)の西側に残る土塁は
三の丸の東南方の十日町の南接する部分に
あたり、東側には堀跡がくぼとなって残って
いると書いてあった。
▲画像クリックで拡大表示可能


現在も柵で囲われて、かすかに昔の面影が残っている山形城・三の丸跡
堀の高さは約6~7mはありそうだった。あれが当時は城の周りを取り囲んでいたわけだから
さぞかし大規模なお城だったろうに。城は三の丸まで含め、三の丸城門の数が11で構成され
吉字の画数が11画であることに合わせて作られた。なので別名・吉字城とも呼ばれていた。
『吉』とは現在のおみくじでもそうだが、めでたい事・良い事柄を指すもので昔は好んで使われた。
白鳥十郎長久の首洗い石鉢


▲山形城(霞城公園) 首洗い石鉢 ▲同種・同年のものとされるエドヒガン
郷土館の裏側には最上義光が病のふりをして、谷地城の城主『白鳥十郎長久』を山形城内に
おびき出し、隠してた刀で最上義光が白鳥十郎長久を惨殺して首をのせたと言われている石鉢が
今も残っています。長久が血を流しながら城から、逃げるときに血をあびた桜『血染めの桜』と
呼ばれ、強風により折損し昭和初期までに存在していたそうです。
西大手門近くにある野球場には、血染めの桜と同種・同年のものとされるエドヒガンが残っている。
樹齢は600年を越すものと推定され、城が築かれた当時に植えられた桜だそうです。
山形市郷土館と博物館

重要文化財旧済生館本館、山形市郷土館
他に霞城公園内で、お城以外の観光スポットとしては郷土館や博物館があります。
明治に使用されていた洋風の県立病院で
医学におおいに貢献したオーストラリア人の
医師『ローレツ』博士のドイツ医学資料が
展示されています。
山形市郷土館、
大人200円・子供100円(無料)
この建物の特徴は三層楼からなる建物で、屋根はドーム型。ステンドグラスを使用した洋館の建物であるが、日本建築の匠を活かした擬洋風建築です。山形の宮大工の集団がたった7ヶ月で完成させた評価の高い建物。(*宮大工とは、神社やお寺などの特殊な建物を作る大工)


▲山形城(霞城公園) ローレツ像 ▲山形城(霞城公園) 郷土館の入り口

やまがたの文化を知る。山形県立博物館
こちらの博物館の方では、県内を中心にした自然や考古学・文化・歴史、ヤマガタダイカイギュウの化石や国重要文化財の土偶など
調査資料が展示されています。
ここの駐車場は3,4台ぐらいしか入らないから
別の広い所で駐車した方が良いかも。
山形県立博物館、大人300円・子供150円
お城を囲むお堀の池では、釣りをしてる方がいることからちょっとした釣り場スポットになってます。
上であげた見所以外に、二の丸・東大手門を出てすぐ近くには
山形美術館と
最上義光歴史館が
ありますので、興味のある方はついでに見に行かれると良いでしょう。
最上義光歴史館の方は、毎週土曜日は小・中学生は無料で見学できます。
最上義光歴史館の主な展示品は、長谷堂合戦図屏風や、最上義光が実際使用した鉄の指揮棒や、
織田信長から貰った
三十八間金覆輪筋兜、青年の頃の伊達政宗の書状などが見学できます。


▲山形美術館 ▲最上義光歴史館
最上義光歴史館の前の噴水が実に見事で、夏場あたり涼んでいられそうな場所ですね。
入場料:美術館は大人500円、高・大学生300円、小・中学生100円
最上義光歴史館は
大人300円、高校生200円、小・中学生100円(
09/4/1から無料になりました)
いたる所に捨て猫禁止の看板が・・・
霞城公園内ではここ最近猫とカモが増えてきた、猫の方はどうやら捨て猫らしい。捨て猫禁止の
看板があることからすると捨てられている可能性が高い。猫好きの私としては残念なことだが
猫を間近で見れるのがイイー!猫の居場所は児童館辺りや、最上義光の銅像前のベンチに
いることが多い。ちなみに真ん中の白い猫を撮るのが難しい。警戒心が強く半径5m内に接近する
までが大変ときたものだ。しかし山で鍛えた旅人の脚力に観念したようだ。
最近では本丸跡が特別な日でなくても、一般公開され自由に中へ入れるようになってました。
東大手門の南多門櫓の中は春の桜の季節以外でも、たまに開放していくそうです。
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