錬心会による演武、戸山流居合道と中村流抜刀道


戸山流居合道・中村流抜刀道
▲真剣で演武する錬心会の戸山流居合道と中村流抜刀道の様子。

錬心会
あれはすべてが見事だった・・・
上山市には上山かかし祭りがあるが
その祭りの期間中にイベント広場で数々の
イベントを行っていたが、私は居合を見た
かったので時間を合わせて眺めに行った。

戸山流居合道・中村流抜刀道とはいかなる
物か、この心の視(め)で確かに見届けた。


中村流抜刀道とは?
中村流抜刀道とは、大正4年の時代の頃、いくつかの古流の剣術流派を主体にして
戸山流抜刀術の原型ができ、陸軍・戸山学校で軍学として教えていたようだ。
そして中村流の創始者・中村泰三郎師範が、その戸山流抜刀術に自分の実践経験を加え
新たに中村流抜刀道が生まれた。


中村流 抜刀道 錬心会
山形では、今は亡き中村泰三郎総師範のもとで試斬指導を受け、山形県連主催の東北大会
で抜群の成績を修めたそうで、平成4年4月5日に元からあった協議会の名前を
中村流抜刀道 錬心会に改称し、現在も山形県上山市で活動しているそうだ。



>>中村流抜刀道 錬心会の続きを見る


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『どこの都道府県が、もっとも山形好き?』の話


山形好き一覧表
▲画像クリックで全データ一覧可能

2008年7月22日~2009年2月23日の解析データ
前回書いたどこの都道府県が、もっとも山形好き?からの第2弾。
約7ヶ月ぶりにデータ解析をしてみました。前回はぶっちぎりで東京からの来訪者が多かったが
今回のデータでは、神奈川県が2位をキープしている結果となった。
相変わらず山形県民は低い方ですね。まぁ・・・当サイトは山形県外を対象としたサイトなので
結果としては、狙ったターゲット層を獲得しているという意味では成功かもしれませんね。

当サイトの変貌ぶりを見る
まずサイトを運営するにあたって、己を知ることから始めなければならない。でなきゃ失敗に終わる。
何に対しどう需要があるのか”を見極めなければ成功など掴めるはずがございませぬ。
なので、去年データ分析から半年後のデータを比較し、己のサイトを観察してみた。

山形サイトリンク
サイトリンクが付きました!
まずグーグル検索で『山形 名所』でサーチすると、サイトリンクが付いてました。
これは長らくそのキーワードで上位を占めていると上のように複数リンクが付きます。
つまりこのサイトは山形の名所が書いてあるサイトだとグーグルに認められたようなもの。

公式サイトなどもこのようになっているが、個人サイトで出すのは難しいだろう。
またキーワード自体が、自分の狙ったキーワードの一つで発生しているのがデカイか。
当サイトの名前が変ちくりんなのは、最初から結果として狙ったからこうなったのだ。


>>どこの国が山形好きそう?の続きを見る


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『恵日山法泉寺と庭園』の話


法泉寺
▲米沢市にある恵日山法泉寺(えにちさん ほうせんじ)・臨済宗の様子。

掘立川
河原沿いにある歴史ある寺
あれは確か、そうそう春の時だったかな。
米沢城・上杉神社から車で約10分ぐらいの
距離にある法泉寺を訪れた。

側には掘立川が流れ文殊橋が架けられてる。
道路を挟んで恵日山法泉寺と庭園が
分かれており、妙な所に道路を通したものだ。
周りは静かで、居るのは庭師と私ぐらいか~
             ▲掘立川

法泉寺法泉寺

法泉寺の歴史
して、法泉寺の歴史についてだが、元和4年(1618)に創建された寺で上杉家2代目・上杉景勝
開基とある。建てられた当時は5千坪ほどある大寺院で、名前も禅林寺という名称だった。
開山は九山宗用(きゅうざんそうそう)。これは直江兼続が会津の興徳寺にいた九山和尚を
高く評価し、資金を与え足利学校で学ばせた。

その後、上杉景勝の子・定勝の学問師範として遇し、直江兼続と九山和尚が蓄えた本を
この地に納め、禅林文庫という学問所を開いた。
直江兼続は豊臣秀吉の命により、朝鮮へ出兵している際にも本を調達していたらしく
それも納めていた。つまり禅林文庫とは今で言う図書館のようなものだ。

上杉景勝が前田慶次郎を見て、学者の直江兼続とは気が合うようだ。と言っていたことからすると
兼続は基本的に本を読んで、学ぶのが好きな性格だったのかも・・・。
それで慶安元年(1648)に4代・上杉綱勝が、禅林文庫の鎮守として文殊堂を建てた。
元禄3年(1690)に5代・上杉綱憲の命により、禅林寺から法泉寺と改称したようだ。

>>法泉寺の続きを見る



直江兼続の歴史が残るゆかりの地の地図と内容


山形県米沢市地図マップ
▲画像クリックで地図拡大表示可能
山形県米沢市丸の内1丁目周辺の地図 - Yahoo!地図情報
米沢市観光・上杉神社 - Googleマップ

米沢城跡
米沢市の直江兼続をめぐるゆかりの地
松岬神社・稽照殿・伝国の杜の場所は、米沢城・上杉神社の所にあります。
米沢市で直江兼続を観光する上で、4,5時間の眺める時間があるのだとしたら
稽照殿や伝国の杜、宮坂考古館、春日山 林泉寺あたりを眺めると良いかも。
毎年4月29日~5月3日には上杉謙信の祭り・米沢上杉まつりがあるので、セットで眺めに来ると
より米沢市の観光を楽しめるかと思います。(かなりの観光者で溢れるので時間に余裕が必要)

1日米沢市に宿泊しての観光だと、興味があるなら前田慶次の跡や上杉家御廟所
眺めるてはいかがかな。
白布温泉は地図には表記されていないが、大平温泉からさらに県道2号を車で
18分ぐらい走らせた山の中にあります。米沢城跡から距離が遠いので車での移動になる。
前田慶次を巡った観光スポットでしたらコチラ⇒米沢・前田慶次郎の歴史跡

場所名 内容

松岬神社(まつがさき)
伝国の杜の手前にある神社で、祭神は上杉景勝、直江兼続
上杉鷹山、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政の6柱を祭神としている
神社。上杉鷹山公以降の名前については、米沢藩が貧乏だった
時期に藩を支えた方々です。松岬公園の側にある神社です。

米沢城跡(よねざわ)
現在の米沢城の本丸跡には、上杉謙信公を祭神としている
上杉神社が建っている。上杉景勝が会津120万石の城主だった頃に
直江兼続は米沢をまかせられ、米沢城の城主だった。
関ヶ原合戦後は、会津120万石から米沢30万石に減封されたため
米沢城は兼続の上司の上杉景勝へ返還された。
参考記事:米沢城・上杉神社

稽照殿(けいしょうでん)
上杉神社の宝物館であり、上杉神社の隣にある建物です。
中には直江兼続所用の愛の前立てや、上杉家に伝わる甲冑や
刀剣類、衣裳や絵画などがたくさん納められています。

休館日:12~3月下旬頃まで。1月1~3日や、上杉雪灯篭まつりの
期間は別だが、冬の期間は基本的に予約をしないと入れません。
開閉時間:9:00~16:00 電話:0238-22-3189 一般:400円

伝国の杜(でんごくのもり)
米沢市上杉博物館では上杉家の文書や上杉本洛中洛外図屏風
などが多数あり、現在(2009年)では天地人博2009が開かれており
大河ドラマ天地人で使用された小道具を多数展示している。

開閉時間:9:00~17:00 電話:0238-26-8001 一般:700円
休館日:4~11月の毎月第4水曜日、12~3月の毎週月曜日

直江屋敷跡
直江兼続が生きていた当時は、この周辺あたりに兼続の屋敷が
建っていたとのこと。
現在は看板のみを残す場所で、民家が建っていて昔の面影を
見ることは無い。場所は伝国の杜の裏側の道路を挟んだ所にある。

春日山 林泉寺
直江兼続とお船のお墓がある。他には武田信清などの墓もあり
上杉家の重臣達の墓も多数ある。米沢三名園の一つがある。

開閉時間:9:00~17:00 12月~3月は要予約。
入場料:お墓は100円。林泉寺の堂内は300円。
参考記事:春日山 林泉寺

宮坂考古館(みやさか)
直江兼続が長谷堂城合戦で着用した、梵字で書かれた愛の前立て
前田慶次や上杉謙信などの甲冑が展示され、まさに圧巻。
別館には大阪冬の陣で活躍した火縄銃が展示されている。

開閉時間:10:00~17:00(10~3月は16:00まで)
休館日:月曜日、祝祭日の次の日 一般:300円

直江石堤
現在では眺めおっとりとした公園だが、当時の直江兼続がいた頃は
大雨が降ると松川が反乱し、城下町は洪水の被害を受けたので
自ら赤崩山に登り、川の状況を観察し堤防を築いた。
近くには蛇土手と呼ばれる、石を積み上げた堤防が現在も残る。
参考記事:直江石堤

龍師火帝の碑(りょうしかてい)
直江石堤から上流の方にある碑で、龍師火帝の文字が刻まれてる。
これは直江兼続が水と火の神に祈った碑で、米沢の城下町を
洪水や旱魃の被害を防ぐために建てた碑です。
ここから水を引いて、田畑を潤す水や城の堀の水を調達している。
参考記事:龍師火帝の碑

芳泉町(ほうせん)武家屋敷
現在も武家屋敷が数件ほど残っており、ウコギが植えられている。
兼続は下級武士をこの地に住まわせ、松川が洪水で
反乱してしまった場合に、すぐに対処しやすいよう配置した。
ウコギを米沢に初めて持ち込んだのも直江兼続です。
参考記事:米沢市芳泉町の武家屋敷

法泉寺(ほうせんじ)
上杉景勝と直江兼続が創建した神社で、当時は禅林寺と呼んでた。
現在はもう無いが、九山和尚を招き禅林文庫という学問所があった。
兼続は朝鮮出兵の時に、戦の合間に中国で本を収集し
禅林文庫に納めていた。
参考記事:法泉寺

西明寺(さいみょうじ)
越後から米沢へ移封にともない移ってきた神社で
ここには直江兼続が鷹狩りの際に訪れ読んだと伝わる
漢詩があり、現在もその漢詩の内容が石碑に刻まれている。
参考記事:西明寺

東源寺(とうげんじ)
上杉家の移封にともない会津・米沢と移転してきた。
直江兼続を祀るために伽藍の建物を建立し
兼続とお船の嫡子・平八景明の位牌を祀っている。
五穀豊穣を祈願し、境内には五百体の羅漢像がある。

白布温泉(しらぶ)
直江兼続はこの高湯で、江州国友村と泉州堺から鉄砲鍛冶職人
を招き、ここで火縄銃を作る工場を建て大量に鉄砲を作っていた。
現在では、直江城州公鉄砲鍛造遺跡の碑の記念碑だけが残る。
参考記事:白布温泉


>>直江兼続をめぐる観光マップの続きを見る



天地人の直江兼続で盛り上がっていた上杉雪灯篭まつり


上杉雪灯篭まつり
▲幻想的な灯りを放つ、第32回上杉雪灯篭まつりの写真。

  • ・場所:米沢城・上杉神社

  • ・料金:無料。天地人博は一般700円、学生500円、小・中学生300円(9:00~21:00)

  • ・期間:2月上旬あたり

  • ・米沢市の名物・特産品:米沢牛、米沢鯉、舘山りんご、うこぎ、雪菜、織物、笹野一刀彫

  • ・宿泊先:米沢市格安宿泊ホテル旅館

雪洞

雪洞
夜の米沢城へいざ出陣!
去年の上杉雪灯籠まつりでは、眠い寒いし
ダメだこりゃ~と夜には行けなかったので
今回は体調のコンディションを整えて
米沢城・上杉神社へ出陣してきました。

ぶっちゃけ体がダルかったが、同じ理由で2度も大敗するようでは、武士としてはさすがに
情けなきこと也。汚名返上と言ったところか。

上杉雪灯篭まつり

米沢に雪あるの!?
して、今回は2月14日に訪れたが、山形では前日には雪ではなく雨がどっぷり降り
雪が積もらない温かい時期がしばらく続いた。なので米沢に雪灯籠どころか雪自体あるの?
と色んな意味で心配しながら向かった。

臨時シャトルバスに乗って上杉神社へ向かうときに、いくつか雪灯篭を見かけたが
やはり今年は雪灯篭の数が少ない・・・。しかも雨にやられたのか雪灯篭が少し崩れてるな・・・。
本当はもう少し角の部分とかしっかりしていて見栄えが良いのだ。
まぁ大自然の流れというものには逆らえないものだ。というか、地球が温暖化した証拠かね。


雪灯篭は何個あるの?
資料によると平均的な数は、雪灯篭が400基、雪洞(ぼんぼり)が1万5千個とある。
今年は雪が積もらなかったので、地元の米沢市民らはあちらこちらと雪をかき集めて
雪灯籠や雪洞、直江兼続の愛の前立てのオブジェクトなどを作ったのだそうだ。

上杉雪灯篭まつり


>>上杉雪灯篭まつりの続きを見る



350年の歴史を持つ奇習カセ鳥


奇習カセ鳥
▲上山市で伝統的に行われている奇習カセ鳥の様子

  • ・開催日:毎年2月11日(祝・建国記念の日)

  • ・場所:上山市内(かみのやま市内を練り歩きます)

  • ・時間:10:00~15:00

  • ・上山市の名物・特産品:サクランボ、こんにゃく、ラ・フランス、干し柿、まんじゅう、ワイン

  • ・宿泊先:上山市格安宿泊ホテル旅館

カセ鳥
カセ鳥さまのお出ましだぞ!
上山市で行われている奇習カセ鳥を眺めて
きました。2月上旬に行われ、山形には雪が
まだまだ多く残る季節ではあるが
その寒さを吹き飛ばすようなカセ鳥の気合の
入った舞と掛け声でした。

して、今回は午後から行けたので
ちょっくらカセ鳥を眺めに顔を出してみました。
          ▲うはっー寒そう・・・

上山温泉街

奇習カセ鳥とは?
カセ鳥は、今からおよそ350年前の江戸時代初期頃の旧正月の13日に行われていた行事で
モモヒキやワラジ、腹にはサラシを巻いた男女が、頭からケンダイと呼ばれるミノのようなものを
被り、「カッカッカーのカッカッカー」と鳴きながら上山市内を練り歩く、上山独特の行事です。

これはカセ鳥(稼ぎ鳥や火勢鳥)を現したもので、商売繁盛や火の用心を祈願したものだ。
横で見ている観衆らは、ヒシャクやバケツに汲んだ水をカセ鳥にぶっかけます。


奇習カセ鳥の歴史
当時のカセ鳥の始まりは、現在の上山市高野のカセ鳥2人と付人1人が
上山城内に旧13日に招かれ、御殿に許しを得たということで御前カセ鳥と指定されたようだ。
町内にも旧15日からカセ鳥が集まり、町内カセ鳥として正月に練り歩いたそうだ。

明治29年になるとカセ鳥は一時途絶えたが、昭和34年に上山市民らに再現され
昭和61年には保存会が結成し、当時の伝統行事を伝えている。
今では「カッカッカー」と奇声を上げるが、当時は「クックックッ」とも鳴いた。
それで水をかけたり御酒を出したり、青指しという銭一貫文を与え労をねぎらったと伝わる。


>>奇習カセ鳥の続きを見る



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