山形の桜・千本斬り日記

山形の桜名所へ『鶴岡公園』の桜・花見


致道博物館
鶴岡公園の側にある致道博物館と桜の様子(2008年)

堀側の花見写真
鶴岡桜まつりで賑わう鶴ヶ岡城跡
ここは日本桜の名所100選に選ばれていて
鶴岡桜まつりで多くの人が訪れるの名所
スポットである。

桜の本数は約800本あり本丸跡には荘内神社と、巨大な石の鳥居が建っている。夜にはライトアップされ街道沿いに取り付けられた
ぼんぼりが美しい風景をかもしだしている。
         ▲堀の内側の歩道の桜

花見つるおかの桜
▲鶴岡桜まつりで露店が建ち並ぶ           ▲堀沿いに並べられたソメイヨシノ

鶴岡公園の側には、致道博物館と大宝館がありルネッサンス風の建物が印象的である。
致道博物館は酒井氏の庭園や、鶴岡に歴史に関する物が展示されている。

護国神社大宝館
▲桜で見えない鶴岡護国神社              ▲大宝館(たいほうかん)

花の写真1花の写真2花の写真3花の写真4花の写真5風景▲桜以外の花とか植物▲


観光旅行動画

旅人の映像で旅行気分『奇習カセ鳥』の動画



▲上山市の奇習カセ鳥の動画(2006年)

上山市の伝統的な行事
カセ鳥とは上山市で行われている行事で、火防や商売繁盛として約350年前から行われている。
要は『火の用心』と言ったものだ。ケンダイと呼ばれる、ワラのミノをかぶり回りながら踊る。
横で見ている観客達は、バケツや杓子などでカセ鳥にふんした者へ水をぶっかけるのだ。

上山市のお祭りは、上山カカシ祭りなどを見ても、案外地味で質素なイベントに見えてしまうものだ。
だが、しかしその地味な雰囲気の漂う所が上山の祭りの良いところであると思う。
マイクのフォンと昔ながらの音色と、音戸だけで「カセ鳥カセ鳥お祝だカッカッカッ」と言いながら
市内を回るのは、歴史の根本的な部分を崩さず行われてきた訳だから、そこに魅力を感じる所也。


中国の漆工芸と日本刀の博物館 蟹仙洞


蟹仙洞の写真
▲上山市にある博物館、財団法人・蟹仙洞(かいせんどう)

  • ・開閉時間:3月〜11月は午前9時〜午後5時(火曜日は休館)
           12月〜2月は午前9時〜午後4時(火・水・木曜日は休館)

  • ・入場料:大人・500円、高校大学生・300円、小中学生・子供100円

  • ・駐車場:無料スペース有(およそ5台ぐらい)

  • ・上山市の名物・特産品:サクランボ、こんにゃく、ラ・フランス、干し柿、まんじゅう、ワイン

  • ・宿泊先:上山市格安宿泊ホテル旅館

アートスペース
中国の漆工芸品や、日本の刀剣が展示
蟹仙洞とは、その昔上山市で製糸業を経営していた長谷川謙三が、美術工芸品を収集し
公開した博物館である。

美術品を収集した横ばい人生と、蟹の性格にたとえ蟹仙洞と命名したようです。
主に中国の明・清時代の漆工芸品や、銘が入った日本刀や東北地方の郷土玩具が展示。
     ▲蟹仙洞の隣にあるアートスペース

国の重要文化財のタンスより、日本刀が人気だそうだ
中国の明時代の漆工芸品である、国の重要文化財に指定されている『楼閣人物填漆箪笥』などが
展示されているが、実際は日本刀を見たく何度も来られる方が多いそうです。

しかし残念なことに蟹仙洞では、平成3年に国指定文化財の名刀が盗難にあってしまったようです。
館長に話を聞くと、昔は入口より奥の方に展示しており警備に不十分であり、夜中に進入しガラスを
割られ盗まれたそうだ。他の刀には目を付けず、名刀のみを盗んでいったとか。
武士の魂である”刀”を盗むとは、隠し持っていても安楽の地などなかろうに。当館に返すべきだ。

案内板錆びた壷
▲蟹仙洞の案内板                  ▲入口に置いてあった壷



奥羽街道の歴史ある宿場の面影を残す楢下宿


楢下宿脇本陣滝沢屋
楢下宿(ならげしゅく)の脇本陣滝沢屋

  • ・場所:山形県上山市楢下字乗馬場1759-1(滝沢屋)

  • ・開閉時間:午前9時〜午後4時45分

  • ・休館日:月曜日、12月28日〜1月3日

  • ・料金:大人200円、学生150円

  • ・駐車場:滝沢屋、大黒屋、武田屋にある(無料)。大黒屋がもっともスペースが広い。

  • ・上山市の名物・特産品:サクランボ、こんにゃく、ラ・フランス、干し柿、まんじゅう、ワイン

  • ・宿泊先:上山市格安宿泊ホテル旅館

奥羽街道・楢下宿マップ
▲画像クリックで地図拡大表示可能

昔はコの字の形だった楢下宿周辺
滝沢屋以外は無料で中へ入れます。橋本屋、遠藤家、山田屋は、現在も人が住居しているようで
中へは入れないようだ。今あるの滝沢屋や大黒屋は、跡地の所から移築した建物である。
跡地の部分は今では何も残ってなく、普通の民家が建ち並んでいる。
昔の奥羽街道は『コ』の字型だったが、明治16年開通され現在では口の字になっている。

参勤交代の宿駅として利用された宿場
上山市の楢下は青森・久保田・山形の13藩の諸大名の参勤交代の宿駅として利用し
藩政時代には本陣・脇本陣・問屋・旅籠屋(はたごや)・茶屋など建ち並び賑わった。
楢下宿は出羽国に入り、初めて本陣を有する場所にあたる。

楢下宿金山川
▲楢下宿の辺りの様子                  ▲中心に流れる金山川

北は青森弘前の城下町まで達していた羽州街道
宿頭から宿頭にかけ新町・下町・横町・上町の4町からなるが、新町は宝暦7年(1757)の
大洪水で被害に合い、新たに割り出された町並みのようだ。
この宿場町では、主に上級武士や大名などの身分の高い者が利用していた。

楢下宿は近くにある難所の金山峠(かねやま)を越え、七ヶ宿に通じる羽州街道にあるので
よく利用され、当時は栄えていた宿場町である。
羽州街道の楢下宿・金山越は平成9年に、国指定文化財の史跡として登録されました。




上杉と最上の壮絶な戦い・奥羽の関ヶ原 長谷堂城合戦


長谷堂城跡
▲直江軍が陣を敷いた菅沢山から長谷堂城跡(はせどう)を見た風景

畑谷城から長谷堂城へ侵攻する直江軍の軍勢
前略、直江兼続が率いる2万余の軍勢で、畑谷城をわずか2時間で江口五兵衛光清が率いる
3百余の兵を撃破し、軍勢は山形城の要にあたる長谷堂城を攻めるために菅沢山に陣を張る。
最上義光は、戦法『明け逃げ』(*畑谷城を参照)を駆使し、最上義光の嫡男・義康を仙台にいる
伊達政宗に援軍の要請を頼みに行かせ、長谷堂城で直江軍の軍勢を迎え討つ。
そして最上義光の生涯にして最大の戦・奥羽の関ヶ原 長谷堂城合戦が起こった。

直江山城守本陣跡
長谷堂城に志村伊豆守光安を派遣
9月14日に直江軍は長谷堂城の北西1kmに
ある菅沢山へ着陣し、長谷堂城を包囲し
攻撃を仕掛けた。
長谷堂城の主将は志村伊豆守光安(しむら
いずのかみ あきやす)、副将は鮭延越前。
他には小国大膳、谷地森伯耆、川熊壱岐
坂紀伊守光秀が最上の精鋭が援軍として
入った。長谷堂城の兵の数はわずか千名余。
      ▲画像クリックで拡大表示可能

増援だけで旗本百騎、鉄砲足軽2百余との記録から、長谷堂城には1〜5千名ぐらいの兵数だと
言われている。追激戦のときの総兵数が5千名で、その以前の城の守りが千名なのかもしれない。
長谷堂城から山形城への距離は約7km程度しか離れておらず、山形城内の兵士もおよそ4千余と
兵数が少ないため、なんとしても長谷堂城を死守しなければならなかった。

長谷堂城合戦古戦場図▲画像クリックで拡大表示可能。直江山城守本陣跡の看板の裏面、長谷堂城合戦古戦場図

真ん中下が、直江軍が陣を貼った菅沢山(通称・すげさわの丘)。真ん中ちょい右上が志村光安
率いる長谷堂城。そのわずか1kmの距離で半月の間、昼夜問わず激しい戦いが行われた。

長谷堂城

直江軍と最上軍の戦力の差
直江兼続が率いる上杉軍の兵数は、およそ2万〜2万4千余(4万という説もある)。
一方、最上軍の方は多く見積もっても1万余だったという。また最上軍は、庄内で上杉家の家臣
本庄繁長と十五里ヶ原で戦い負け、それ以来およそ10年くらい大合戦をしたことがない。
また最上軍は軍勢で山形へ攻め入られることもなかった。上杉軍の方は各地の合戦で名勝を
繰り広げ戦上手だったのだ。


≪前の旅行観光 | 山形旅行 - 観光、温泉、名所、宿泊 | 次の旅行観光≫


サイト内記事検索

山形旅行スポット

 村山地方
蔵王 (9)
山形市 (14)
上山市 (9)
西川町 (4)
尾花沢市 (4)
山辺町 (2)
寒河江市 (3)
 置賜地方
米沢市 (18)
高畠町 (3)
 庄内地方
鶴岡市 (5)
酒田市 (5)
遊佐町 (3)
 最上地方
新庄市 (3)
 グルメ・桜・花火・旅日記etc.
山形観光旅行記 (34)
山形グルメ旅行記 (23)
観光旅行動画 (23)
山形の桜・花見名所 (14)
山形の花火 (6)
よくある質問集 (5)

風のお知らせ

旅人

・8月24〜26日は新庄まつりがありやす〜


・画像鯖及び動画が不安定な場合がありやす。その場合はマッタリ鯖復帰に期待!


やまがた天気予報

旅人の侍プロフィール

歴史と猫が好き

我武者羅な管理者:旅人
こよなく旅行と猫を愛する、さすらいの侍。観光名所を訪れては旅の写真を斬る風来坊ブログ侍。

最近の更新記事

RSSフィード

全記事アーカイブ

YAMAGATA LINK


アクセス解析