観光旅行動画

旅人の映像で旅行気分『銀山温泉』の動画



銀山温泉の動画

雪景色だと、大河ドラマ『おしん』を想い出すものだ~
銀山温泉旅館の町並みの雪景色動画。前半はカメラを手にとって撮影しているためか
ゆらゆら感がちと酔いますね@@; 後半辺りのぐるりと360度撮影したやつが見やすい。

序盤に移ってた『足元が滑りやすい』とか書いてある看板の所が、足湯のところです。
銀山温泉では通称・和楽足湯(わらしゆ)と呼び、座ってゆったりと回りの景色が楽しめれる。
あの足湯は最初は木のフタのようなもので塞いでおり、足湯利用時間になると釘抜きみたいな棒で
フタを開けているのを見たことがある。足湯は無料でどなたでもご利用いただけます。

広さは大体あんな感じ
尚、銀山温泉はそれほど大きい町並みではないことが、動画を見れば分かるかと思います。
まあ、あんな感じです。宿泊以外で共同温泉の方だと、しろがねの湯という所でご利用になれます~

>>銀山温泉の動画の続きを見る



米沢市の温泉入浴施設一覧表


米沢市の温泉入浴施設の地図
▲画像クリックで地図拡大表示可能
山形県米沢市 温泉 - Google マップ

米沢市の温泉入浴施設一覧表です。岡原温泉については、火災で燃えてしまったらしく現在では

営業していないぽい。あと冬季だと露天風呂の所など営業していないようです。

どの温泉施設も日帰り温泉はほぼ可能。米沢市だと小野川温泉と白布温泉地帯が温泉施設の

数が多いようだ。(他は1,2件ぐらい)


米沢の温泉は、岩で囲まれ大自然を眺めながらの露天風呂が特徴で、温泉の効能が高そうな

入浴ができるのが、温泉と歴史好きにはたまらないスポットと言ったところか。


姥湯温泉

温泉施設名 内容と地図
小野川温泉(おのがわ)

小野川温泉とは平安時代の歌人・小野小町により名づけた温泉地帯で

伊達政宗が湯治のため浸かっていたとか。6月中旬~7月中旬頃には

小野川温泉ほたるまつりが行われ鬼面川に浮かぶ、ホタルの見物なども

でき、歴史ある温泉地帯である。

山形県米沢市小野川町周辺の地図 - Yahoo!地図情報
白布温泉(しらぶ)

開湯700年をこえる温泉で、白い布ような温泉が流れているので

白布温泉と呼ばれている。近くには白布大滝が流れ

秋には美しい紅葉で覆われ、紅葉スポットにもなっている。

また直江兼続が、鉄砲を作られらせた工場跡の碑などが残る。

山形県米沢市大字関周辺の地図 - Yahoo!地図情報
大平温泉(おおひら)

松川上流から標高1050mにあり最上川の源流で、四方を断崖に

囲まれた大自然の温泉地。まさに秘境と呼べる岩風呂と自然の湯。

山形県米沢市大字大平周辺の地図 - Yahoo!地図情報
滑川温泉(なめがわ)

大沢の郷士斎藤盛房が川を渡るときに、足を滑らせ転倒した際に

温かい石に触れ、温泉地帯であることを発見した場所。

1763年頃に、米沢藩の許可を得て笹木正直が開業した湯。

山形県米沢市大字大沢周辺の地図 - Yahoo!地図情報
姥湯温泉(うばゆ)

こちらも大平温泉に似た、まさに大自然を利用した温泉地で

噴火口跡に温泉があり、標高1300mと高所に位置する。

大露天風呂と米沢の景色を眺めながら入浴できるのが特徴。

山形県米沢市大字大沢周辺の地図 - Yahoo!地図情報
新高湯温泉(しんたかゆ)

明治三五年に宿として開業した所で標高1,120mにある。

西吾妻山を眺めながら、露天風呂を楽しめるのが特徴。

山形県米沢市大字関周辺の地図 - Yahoo!地図情報
五色温泉(ごしき)

約1300年前に、役行者が五色の湯煙を見て発見した温泉で

名前もそれが由来。米沢藩上杉氏の守り湯として使用し利用した。

山形県米沢市大字板谷周辺の地図 - Yahoo!地図情報
湯の沢温泉(ゆのさわ)

羽黒川の脇にある、およそ300年以前からある古い温泉。

猿が傷を癒すために湯に浸かっていたいた所を見つけたのが始まり。

山形県米沢市大字関根周辺の地図 - Yahoo!地図情報
笠松温泉(かさまつ) 山形県米沢市大字大沢周辺の地図 - Yahoo!地図情報

小野川温泉街


観光旅行動画

旅人の映像で旅行気分『上杉祭り 川中島合戦』の動画



米沢上杉祭り 川中島合戦の三太刀七太刀の動画

米沢上杉まつりの5日目の川中島合戦
武田信玄が上杉謙信の太刀を軍配で受け止めるという、三太刀七太刀のシーンを再現したやつ。
毎年あの動画のように、1回でうまく行くことはなく。謙信が落馬しそうになったりして何度も
やり直しをしたりする場合もある。一見謙信側が危なさそうにも見えるが、馬に引かれる可能性の
ある信玄側も実は危険だったりしますな~

上杉謙信が馬で去っていった後に、武田軍が走って追っかけてますが、あれが武田軍の陣形の
鶴翼の陣(かくよく)というやつです。たぶんあのシーンは、武田軍のもう一方の軍と合流して
上杉軍が撤退しているシーンを表現しているのだと思う。


>>米沢上杉祭り 川中島合戦の動画の続きを見る


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『上杉景勝』の話


上杉景勝の肖像画
▲米沢藩初代藩主の上杉景勝(かげかつ)

上杉景勝の簡単な生い立ちについて
上杉景勝は弘治元年(1555年)10月27日に、新潟県南魚沼郡の上田荘坂戸城で父・長尾政景の
二男として生まれる。母は謙信の姉・仙桃院(せんとういん)。幼名は卵松(うのまつ)。
上杉謙信の養子後に喜平次顕景(あきかげ)と改名。父・政景は坂戸城近くの野尻池で溺死した
そうで上杉謙信は景勝と姉・仙桃院を春日山城へ引き取った。

上杉謙信が亡くなると御館の乱で、謙信のもう一人の養子の景虎と後継者争いに勝利して
上杉家第2代当主となる。豊臣政権になると上杉景勝は豊臣秀吉の重臣となり、秀吉の5大老まで登りつめた。慶長3年(1598年)には越後から会津120万石へ国を移封したが、関ヶ原合戦後には
米沢30万石に国替えを命じられ、米沢城が上杉家の拠点となった。

会津若松城の写真
笑わない武将・上杉景勝
上杉景勝は背が低く無口で両目が鋭く
常に眉間に筋を立て笑うことがなかったという。小さい頃から直江兼続と共に上杉謙信の元で学んだが、上杉謙信を深く尊敬し
謙信の宗教を重んじるストイック的な性格を
真似て、そうの様な雰囲気になったらしい。

それについて、いくつか逸話がある。
         ▲会津若松城(鶴ヶ城)


>>上杉景勝の続きを見る



幻想的な明かりを灯す 上杉雪灯篭まつり


雪灯篭の写真
▲山形県米沢市・上杉神社上杉雪灯篭まつり

  • ・イベント期間:2月上旬頃に点灯。

  • ・その他:テント村物産展が開かれ、米沢の名物やお土産を購入できる。

  • ・場所:山形県米沢市丸の内1-4-13 場所は米沢周辺や上杉神社。

  • ・駐車場:米沢城周辺にいくつか駐車有(無料)

  • ・米沢市の名物・特産品:米沢牛、米沢鯉、舘山りんご、うこぎ、雪菜、織物、笹野一刀彫

  • ・宿泊先:米沢市格安宿泊ホテル旅館

  • 2009年の上杉雪灯篭まつり

上杉神社通り
米沢の冬の風物詩 上杉雪灯篭祭り
山形は雪国なため、このイベントは雪を活かした祭りと言えよう。ズラーとならぶ雪灯篭は
約300~400基ほどだそうだ。

毎年地球の温暖化のためなのか、積雪が少なく毎年イベントの日程も若干の上下がある。
よって1月末の雪の状況により、今年はいつ頃イベントを行うか予定を立てるそうだ。
      ▲ずらりと並ぶ雪の灯篭(とうろう)

上杉雪灯篭まつりの歴史と発端
上杉雪灯篭まつりの歴史はそれほど古いものではなく、昭和52年2月28日の夜に編み出された。
その昔『月見の会』という上杉神社社務所で、みんなで雪見酒を飲みながら語り合っていた。

雪の話をしていたら話は雪の話題へとなり、雪の美や雪の風情を楽しむような何か催しがない
だろうか・・・。と話合っていたところ、そのうち「雪の中にローソクを点したらどうなるだろう」という
話になり、実行してみたところあまりにも幻想的で美しかったので、これを我々だけで楽しむのは
もったいない。と言うことで米沢市民にも呼びかけ今い到るようだ。

上杉神社前上杉謙信の銅像伝国の杜前の写真鳩松岬公園通り伝国の杜の出入り口▲いつも鳩の群れがいる訳だが、まさか冬でも居るとは思わんかった▲



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山形城・東大手門の近くにある最上義光歴史館


最上義光歴史館
▲最上義光歴史館(もがみ よしあき)

  • ・場所:山形県山形市大手町付近

  • ・開館時間:午前9時~午後4時30分。休館日は月曜日と12月29日~1月3日

  • ・入館料:大人300円、高校生200円、小・中学生100円、毎週土曜日は小・中学生は無料
          2009年4月から入場無料となりました。

  • ・駐車場:最上義光歴史館の隣の有料駐車場とか霞城公園内とか

  • ・山形市の名物・特産品:サクランボ、ぶとう、玉こんにゃく、こけし、米、紅花、鋳物

  • ・宿泊先:山形市格安宿泊ホテル

歴史館の外の写真
山形城主・最上義光に関する歴史館
山形城、別名・霞城公園東大手門の近くには最上義光歴史館がある。ここでは山形城や最上義光に関する資料を眺めることができる。

入口のカウンターには、音声で資料を説明してくれる無料ヘッドフォンがあるが、貸出の要請をすると貸してもらえる(電池が切れやすい)
       ▲たまに噴水が出ることがある

歴史館自体はそれほど広くはないが、最上家の所用の品々や山形城や最上義光に関する映像が
あるので、それほど退屈することはなかった。入口左の奥には喫茶室があり、ゆっくりくつろげれる。

庭の写真カラスの水浴び
▲中を覗くと鯉らしき魚が泳いでた。どうやらカラスが、あそこで水浴びをしているようだ▲


>>最上義光歴史館の続きを見る


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『山形城 東大手門』の話


霞城公園の東大手門
▲二の丸の門を復元した山形城の東大手門

東大手門の再建だけで11億!
普段何気なく通過するだけの山形城(霞城公園)の東大手門だが、なんと総予算が11億円ほど
建設費が掛かった代物だそうだ。昭和53年の10月から作業を開始して、平成3年の3日に完成!
という長い時間をかけてできた門である。資料があったのでその内訳を記し斬ってみた。

東大手門の事業費各事業費
石垣工事費1億8千万
建築工事費4億8千万
木材購入費2億3千万
石材購入費2千8百万
広場工事費9千万
調査、設計委託費8千万
その他1千2百万
合計11億円

2ノ丸の写真東大手門の堀の写真
霞城公園の東大手門の橋から見た2の丸の堀の様子▲


>>山形城 東大手門の続きを見る


山形観光旅行記

旅人の天晴れ『タイヤ交換のススメ』の話


タイヤ交換
▲学問のススメならぬ、タイヤ交換のススメ

タイヤ交換で面倒な作業をぶった斬る!
山形では3月下旬頃になると雪が積もらなくなるので、そろそろタイヤ交換をしておきたい所也。
初心者の若葉マークを付けた車が、ちらほらと目立ってきているのを見て、春の訪れを感じる
旅人でありますが。せっかくなので、タイヤ交換でやっかいな点を記し斬ってみた。
女性とか腕力が弱い方向けかと思う。つか車の整備所とかカーショップで交換するのかな・・・

泥避けカバー
最初の難関を、テコの原理でクリアー
まず最初に厄介なのが、泥よけのためのカバーを外すことだろう。車のタイヤにより大きさは大小異なるが、基本的にやり方は全部同じ。

あれの外し方はマイナスドライバーなどを隙間に入れ込み、もう一つ似たような器具を開いた隙間に入れ、テコの原理を利用してグイッと力を入れれば難なくカバーは外れるだろう。
       ▲最初の難関の泥よけカバー

最初はカバーがぶっ壊れないか不安に感じたりするが、まあ所詮はカバーだ。おもいきってやれ!
車の教習所などでは、こういった基本的な要点を教えなかったりするのが問題だと思うんだよな~
初めてタイヤ交換をやろうとした時、外し方が分からずに悩んだ日々が昔あったな・・・


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畑谷城 -



武士の勇を貫き落城した最上軍の支城、畑谷城


畑谷城
▲小さな山城・畑谷城(はたや)の本丸跡
左の碑『旅人よゆきて伝えよ 最上のために戦い たおれし者を』
奥羽の関ヶ原の一つ畑谷城跡。上杉軍率いる直江兼続が、山形城侵攻により攻め滅ぼしたお城。
江戸に到着した徳川家康から7月7日付けで、最上義光に上杉家討伐の書状が届き
最上義光は山形へ戻り軍事を備える。最上義光より一足先に、山形へ戻っていた江口五兵衛光清が、直江兼続が率いる2万余の軍勢を迎え撃った話。

直江山城守兼続上杉包囲網
▲上杉家の重臣・直江兼続             ▲実現しなかった上杉包囲網図(拡大可能)

関ヶ原合戦の根源はここから始まった
「景勝、謀反の志あり」すべてはこの一言で天下分け目の関ヶ原が始まった。
そう徳川家康の耳に知らせが入ると家康は上杉景勝に上洛の意思をせまった。

上杉家の包囲網と石田三成の挙兵
直江状を読んだ家康は腹を立て上杉家の討伐を決意し、大阪城を離れ江戸城から下野小山まで
やって来て陣を降ろした。会津攻めには南から家康軍、西の越後から村上・堀・溝口の軍
北東からは仙台の伊達政宗、そして北からは山形城最上義光軍で、会津の上杉景勝を
包囲する予定だった。

しかし、豊臣政権を守ろうとする石田三成の挙兵の知らせを聞くと、上杉の警戒を最上義光と
伊達政宗に任せ家康は江戸城に引き返した。

最上義光の銅像伊達政宗の銅像
▲最上義光                        ▲伊達政宗


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