2011年3月11日に東北地方を中心に発生した大規模な地震から1年が経過しました。
未だ行方知れずな被災者も多く、街並みはまだまだ復旧までには至らないが
わずかながら再開した企業もあるようだ。

あの日のことを忘れないように、投稿された動画を度々眺めるが
いざ大きな地震が発生したら高台へ逃げろとは言っても、
足腰の弱い年配者からすれば登りきる前に津波に飲まれるし
安全な地など存在しないものだと実感した。


原発の放射能問題もあるので、東北復旧の目途が立ちそうにないが
それでも少しでも前に進む努力をするしかないのが今の現状です。
被災者の住む場所は一時的に解決したはいいが、
雇用先の問題に関しては、日本自体が不景気なのでこちらも難しい問題を抱えている。

来年にはさらに復旧することを願い、
地震で亡くなられた方がのご冥福をお祈り申し上げます。


支援物資の届きに温度差がある
深夜などに放送している被災者のコメントを紹介しているテレビで聞くのと、
別の番組や報道を見ると、支援物資が足りる・足りないの温度差を感じる。
この辺りの妙なズレをしばらく考えていたが、
私が現地を眺めてきた意見と合わせると大体事情が把握できた。

まず基本的に大きい避難所は支援物資が定期的に届くので、
贅沢とまではいかないまでも、きちんと手が届いているのだろう。
さらに近所のスーパーも再開されたりと復旧の兆しを若干ながら感じる。
宮城県石巻市近くにあるビッグバンという施設がある地域はそんな感じだった。


>>支援物資の足りる・足りないの差とは?の続きを見る



宮城県石巻市



▲宮城県石巻市から女川町へ通ずる道路の風景写真


あらゆる物が壊滅した石巻市
あれは気仙沼市に向かおうとした時だった。
一関街道が崩れたそうで通行止めになり、
気仙沼市に行けない事態になった。

遠回りになるが別の通行可能なルートを
探している時に、自衛隊の車の多くが
ある一定方向に行き来してのに気付いた。
何かある!そう直感が閃いたので向かった。


地獄絵図だ!!
石巻市の様子を見て背筋が凍った…。こりゃ神も仏も無い…。
作業者や住民らは、きっと同じことを一度は思っただろう「人生終わった」。
ここまで木端微塵な状況だと、死ぬことより生きてる方が地獄ではないのかと初めに感じた。


地元の復興にと一生懸命作業をしている自衛隊や地元民はいるが、皆顔が険しい。
そして何がしらのストレスを抱えてるようで、目から炎が出ている。

塩釜市周辺なら「がんばってください」という励ましの言葉が通用しそうだが、
ここでそんなことを言おうものなら、殴られそうな勢いだ…。
まさに人生修羅場である。



>>東北地震の災害写真part2の続きを見る



宮城県仙台市


仙台駅
▲宮城県仙台市にある仙台駅

てっぺんの部分が折れてるぞ…
2011年3月25日、東北の大地震から約2週間
が経過した。山形では軽い雪だったが
宮城県では曇り気味の晴天也。
テレビでは福島県の原子力の放射能漏れ
による話題ばかりが続く。

この辺りまでは、まだ平和だった…。
後に地獄への旅路に行きつくとは
この時点ではまだ知るよしもなし。


ガソリンスタンドの渋滞
宮城県では左の写真のように、ガソリンを補給しようとどこも渋滞になっていた。
山形県でも似たような光景であり、やはり東北地方は明らかにガソリンが足りていないようだ…
仙台駅や一部のビルはネットが張られ、窓ガラスやタイルが剥がれ落ち修復中の様子が見れた。
目立つような被害はそれほどなく、壁にヒビが軽く入ってる程度だった。


>>東北地震の災害写真part1の続きを見る


支援物資の個人輸送と仕分け問題について
災害地へ支援物資を送るにあたってのマナーが新聞に記載されていたので
今日はそれについての常識を学んだ。
前にもボランティア活動について触れたが、善意活動とは案外難しいものである。
やはり何をするにしても事前の予備知識が必要になってくる。

まずアレだ。根本的に個人が輸送した物は困る。
大抵は個人による支援物資を受けている所は少ないと思いますが
千葉県では個人による支援物資も受けている所もあるが、仕分け作業が大変なのだとか。

現場の方も支援物資は企業や団体による物なら受けているが、
個人による物はお断りと記載していても、やはり無言で大量に送ってくる現状のようだ。
10トントラックで何百台とやって来るので、善意で送ってきた物だが困るらしい。


>>被災地への支援物資の送り方の常識の続きを見る



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